日本教信者

文学

 昨夜、韓国で生まれ育ちながら日本教信者を自認し、日本に帰化した呉善花先生「私はいかにして日本信徒となったか」を読みました。

私は、いかにして「日本信徒」となったか (WAC BUNKO)
呉善花
ワック

 韓国の田舎で生まれ、都会に憧れてソウルの高校に入学し、ヨーロッパに憧れて当時西ドイツが多くの韓国人看護師を受け入れていると聞いて看護学校に進むも、西ドイツが政策を転換するや退学し、なぜか職業軍人になります。

 軍は4年ほどで辞め、今度は米国留学を夢見ますが、当時韓国人が米国のビザを取るのは至難の業であったため、とりあえず日本に留学し、それを足掛かりにして米国留学を目指そうと決意します。
 この時、もう27歳。
 しかも強い反日教育を受けた最初の世代とあって、日本といえば悪魔の国と答えるほど、ガチガチの反日意識を持ったまま、米国留学のための方便だと自分に言い訳しつつ、東京にやってきます。

 1980年代初頭のことです。

 当時すでに日本は経済成長をとげ、やがて来るバブルの予感に浮かれていたわけですが、韓国はまだ貧しく、初めての東京生活は驚きの連続だったそうです。

 風呂トイレが付いた1DKのアパートを借りて、まず驚きます。
 韓国では体を洗う習慣はあっても湯船につかるという習慣がなく、悪名高い日本統治時代にわずかに広まりますが、毎日風呂に入れるというのが驚きだったようです。

 また、白米だけのご飯を3食食べられるということに驚き、特に牛丼には驚きます。
 牛肉と白米という当時の韓国人にとって年に何度食べられるか、という夢の食い物を二つ一緒にして250円と言う値段に驚愕し、毎日牛丼を食います。

 韓国で生活レベルが著しく向上し、わが国と大差がなくなったのは、1988年のソウル・オリンピック以降のことだそうです。

 呉善花先生が何より驚いたのは、日本人が親切で街が清潔で、極めて快適であること。
 また、商店主などがぼったくったりおつりを誤魔化したりしないことにも驚いたとか。
 おつりを誤魔化すやつが韓国にはいるのかと、私はそっちが驚きでした。

 最初の一年は、反日教育の反動のように、日本に好印象を募らせていきますが、二年目に入ると、日本人に不信感を持つようになります。

 親友だと思っていた日本人が、ある程度親しくはなっても、それ以上は踏み込ませず、どこかよそよそしいとか、八百屋で「新鮮なのをください」と言ったら急に怒り出したとか。

 日本人は表面的には親切だけどやっぱり本心は冷たい悪魔のような人々なのか、と感じたようです。

 わが国では親しき仲にも礼儀あり、と言って暑苦しい人間関係を嫌いますからねぇ。
 また、わが国ではどんな職業の人でも誇りが高く、八百屋であれば、「新鮮なのください」なんて言われれば、「うちに新鮮じゃない野菜なんかねぇ」、と思って不快に思うであろうことは容易に想像がつきます。

 自分が思ったままを書いた処女作「スカートの風」がわが国でベストセラーとなるや、今度は韓国の人々から激しい非難を浴びることになってしまいます。

スカートの風 日本永住をめざす韓国の女たち (角川文庫)
呉善花
KADOKAWA / 角川書店

 悪魔の国を褒めて自国を貶す売国奴、というわけです。

 挙句の果てには日本人が書いたもので、呉善花というのは架空の人物だと言ってみたり。

 ついには韓国に帰れなくなり、日本に帰化。
 お母様のお葬式の時だけは入国を許可されたそうですが、お葬式が終わるなり強制退去。

 多くの韓国人にとって、呉善花先生は許しがたい人物になってしまいました。

 先般読んだ中国の石平先生と違い、インテリではない、普通の韓国女性が素直に書いたものだけに、分かりやすく、興味深い著作でしたねぇ。

 

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