星に願いを

文学

  昨日は七夕でしたね。
 織姫と彦星が年に一度逢瀬を楽しむ日。

 そして私たちにとっては、星に願う日。
 願い事は人それぞれでしょうが、ロマンチックな伝説に彩られた一夜、切実な願いを抱えている人もいるでしょう。

 私はといえば、しがない木端役人の中年男ですから、願い事といっても宝くじが当たりますように、程度の、俗っぽい願い事しかありません。
 神聖な短冊をそんな世俗の垢にまみれた願い事で汚すわけにはいかず、曇り空の向こうに輝いているであろう二つの星に、心の奥深くで欲望が叶うことを願いました。

 天の川 遠き渡りに あらねども 君が舟出は 年にこそ待て

 歌聖、柿本人麻呂の和歌です。
 「和漢朗詠集」に見られます。

 天の川はそれほど大きな川ではないけれど、一年にたった一度の渡りを待ち焦がれています、と言ったほどの、織姫の切ない恋情を表したものと思われます。

和漢朗詠集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
三木 雅博
角川学芸出版

 その昔は短冊ではなく、梶の葉に願い事を書いたとかで、与謝蕪村は、

 梶の葉を 朗詠集の しをり哉

 と詠んでいます。

 七夕の夜、「和漢朗詠集」を繙いて、和漢の古人を友として一時の慰めを得たのでしょうか。

 「和漢朗詠集」は、漢詩や和歌を集めた詩歌集で、本朝と漢代の有名な詩歌が同時に楽しめる、一粒で二度おいしいみたいな書物ですから、与謝蕪村がこれを愛誦したであろうことは想像に難くありません。

 思い起こしてみれば、七夕に限らず、私は切実に星に願ったことがありません。
 星に限らず、何にも強く願ったことはありません。
 強いて言えば、己を追い込むことによって何事かを実現せしめようとしたことはありますが、いずれも失敗に終わりました。

 どうせ失敗するなら、何の力も無い己を恃むのではなく、星でも神仏でも、人智を超えた何者かに祈れば良かったと、今更ながら思います。

 しかし、それを嘆いても詮無いこと。
 その時その時で、最上と思われる方法を、選択してきた結果ですから。

 人というもの、よほど愚かに出来ているらしく、その時最上の判断だと思ったことが、後になってみると滑稽なほど愚かな考えに基づいていたことに気付き、愕然とせざるを得ません。

 そして今この時も、私は最上と思われる道を選んでいるのです。
 10年もすればそれが愚かな判断だったと気付くのでしょうけれど、今の私には1分後のことすら分からないわけですから、愚かさは私の限界というよりも、生物の限界なのかもしれませんね。 

 であれば、年に一度くらい、それが野望とも言うべき荒唐無稽なことであれ、星に願うのも悪くないのかもしれません。   


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