今日は4月下旬になろうというのに、冷たい雨が降っていました。
日曜日だというのに、家に閉じ込められて、なんとなく憂鬱です。
日曜日の夕方の憂鬱からは、サラリーマンを続けているかぎり逃れられない宿命であるかのごとくです。
でも考えてみれば、幼稚園に通っている頃から、日曜日の夕方はなんとなく気が沈みました。
次の休みまで一番遠い頃合いですから、致し方ありません。
もっとも大学生の四年間だけは、そういうことは無かったですねぇ。
自由になる時間がたっぷりあり、あまり大学には行かずにふらふらしていましたから。
私の今の心境からは程遠い、敬愛する与謝蕪村の句でも拾ってみました。
春の夕(ゆふべ) 絶えなむとする 香(かう)をつぐ
夕闇が迫ってきた、清涼殿では、女房たちが、絶えようとする香をついでいる。何とも優艶な風情である、といったほどの意かと思われます。
ここには春の濃厚な憂愁の気配は感じられません。
こんな風に優雅に春の夕べを過ごすことができたらどんなに良いでしょうね。
春雨や ものがたりゆく 簑と傘
こちらも与謝蕪村の句です。
こちらはほのぼのとした感じが漂いますね。
春雨の中を何を語り合っているのでしょうか。
時代は下って明治期の俳人、高浜虚子の色っぽい句を。
恋めきて 男女はだしや 春の雨
こちらは解説の必要はないでしょう。
春は命が芽吹き、恋の季節でもあります。
しかし今の私には、昔のCMではありませんが、恋は遠い日の花火、という形容が、心に落ちます。
春の雨を詠んだ句は、意外なほど明るいものが多いようです。
春愁だの春恨だのと言ってはみても、やっぱり春は多くの人にとって長い死の季節である冬から解放される待ちに待った季節なんでしょうか。
日本人の美意識には、あまりに春の憂鬱を気にしていない風が見受けられます。
そこが中国の古典文学との大きな違いであるように思います。
あぁ、私も日本人のはしくれとして、春を好ましいものとしてとらえる美意識を身に着けたいものです。
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