春一番

文学

 昨日の強い南風、春一番だったんですねぇ。
 気象庁が発表していました。

 私の職場にもちらほら泣きはらしたような目でくしゃみを連発している職員を見かけるようになりました。
 私は今のところ花粉症の気は全くないので楽ですが、見るからに辛そうです。

 花粉症という名称が一般的になったのはいつからなんでしょうか。
 私が子どもの頃はそういう呼び方はせず、アレルギーと言っていたように思います。
 さらに言えば、そんなにアレルギーの人は多くなかったように思い出します。

 実際に花粉の量がここ数十年で劇的に増えたのか、花粉症と言ってしまえば誰もが納得するから軽くても花粉症を自称する人が増えたのか、よくわかりません。

 これからは三寒四温の日が続き、やがて本格的な春が来るんですねぇ。

 私が春一番という言葉を知ったのは、7歳の頃流行したキャンディーズの「春一番」という曲によってだったように思います。



 石破茂自民党幹事長が若い頃キャンディーズのファンだったと公言しているのは有名な話ですね。

 ピンではなく、グループで活躍した少女アイドルの原型だったかもしれません。

 今の私には、この歌のように、春だからと言って浮かれて恋をするような年ははるか昔のことです。
 ただ季節の移ろいを感じ、無常を嘆くよりよりほか、今の私は春をやり過ごす術を知りません。

 
キャンディーズの一員だったすーちゃんももはやこの世の人ではなく、若さを売りにするということの切なさを痛感します。
 すーちゃんはその後「黒い雨」などの文芸大作に出演するなど、キャンディーズ解散後は本格女優としての道を歩みました。
 それでも、常にあのキャンディーズのすーちゃんという目で見られるのは辛いことだったかもしれません。

 昨夜、同居人が気持ちが沈むと言って私の主治医である精神科医を受診したそうです。

 40代半ばに達した女性に多く見られる不定愁訴ということで、私から見れば微々たる量の抗うつ薬と抗不安薬を処方されていました。
 私の闘病を横で見ていたおかげで、精神科受診へのハードルが低く、早めに受診となったことは不幸中の幸いです。

 人は必ず老い、老いれば健康に不安を抱えることになることを痛感させられました。
 多くの人生の先輩がいかに老い、いかにして死んでいったかを考えなければならない年齢になったのでしょうか。

 幸若舞「敦盛」では、

 人間(じんかん)五十年、化天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり

 
という一節があります。

 大河ドラマなどで、信長が本能寺で最後に舞う場面が知られていますね。

 人の世にいられるのが五十年ということですから、昔の基準で言うと私も初老ということになるんでしょうね。

 春一番とともに年月の流れが持つ本質的な残酷さを思い知らされ、春一番が恨めしく感じられる今年ですねぇ。

幸若舞 3 敦盛・夜討曽我 (東洋文庫 426)
荒木 繁
平凡社



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