春雨の

文学

  通勤途中で観る桜、早くも散り始めています。
 今週末は桜吹雪のようになっているでしょう。

 散る花を涙とみるか死と見立てるかで、趣はずいぶん違ってきますね。
 私は長いこと、散る桜に涙を見立ててきました。

春雨の 降るは涙か 桜花 散るを惜しまぬ 人しなければ  
                                                                大友黒主


 この和歌は春雨を桜を惜しんで流す涙だと詠んでいます。
 それはまさに桜という花の死を悼むものであったでしょう。
 しかし私は、散る桜そのものが、桜にとって血の涙なのだと感じています。

桜花  散りぬる風の  なごりには  水なき空に  浪ぞたちける  
                                                                紀貫之

 
桜が散ってしまった後、その名残に花は空を舞って、波のように漂っている、という桜吹雪の猛烈さを、わりあいと静かに詠んでいます。


 私にはそんな生易しいものではないように感じますが。

 桜が散って、新緑の季節が訪れれば、一気に首都圏は東南アジアのような猛暑に襲われることになります。

 今夏も節電が求められるんでしょうねぇ。
 昨年は冷房運転を極端に短くし、仕事にならないような感じだったことを思い出します。

 一年は繰り返しのようでいて、じつはすべてが初めてのこと。
 平成24年の桜は初めてで、繰り返すことはありません。
 朝の洗顔も、その朝初めて行うこと。
 人生は初体験の連続です。

 「方丈記」に、

いにしへ見し人は、二三十人が中に、僅に一人二人なり。朝に死し、夕に生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、何方より來りて、何方へか去る。

 と、あります。
 同じように見える町の景色も人も、激しく変化し、入れ替わっています。
 変化こそがこの世の本質だと根源的な話をされたら、私は戸惑うでしょうねぇ。

 でも桜が散り始めると、私は仏教的無常観にはげしく捉われるのです。
 もしかしたら日本人がこの花を愛憎うずまく感情を持ちながらも愛でてきたのは、桜が物事の本質を象徴していることに知らず知らずのうちに気付いていたせいなのかもしれませんねぇ。

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