昭和

社会・政治

 1975年、昭和天皇は米国を訪問されました。
 そのときの米国人の反応は、なかなか興味深いものです。

 最も多かったのは、まだ生きていたのか、というものだったそうです。
 30年前はヒトラーやムッソリーニと並んで、最も憎らしい敵国の指導者だった人物が、今なおその地位にあって、何の責めも受けていないことは、驚嘆すべき事実であったのでしょう。

 そしてもう一つ、記者会見で、戦前と戦後で日本人の価値観はどう変化したかを問われ、基本的には何も変わっていない、と答えたことが、米国人の驚愕を増したそうです。

 軍国主義の奴隷であったはずの日本人は、戦後、連合国によって解放され、民主化したはずでしたが、当の日本国民の象徴が戦前も戦後も変わりは無いと言ったのだから、連合国側に立って戦った人々は浮かばれないでしょう。
 それどころか、変化がないとすれば、チャンスさえあれば再び奇襲攻撃を仕掛けてくるかもしれない、という恐怖を抱いたことでしょう。

 終戦直後、米国においても英国においても、7割を超える人々が昭和天皇を処刑すべきだと考えていました。
 しかし天皇を処刑したら日本国民が怒ってちょうど今のイラクのように次から次へとテロ攻撃を仕掛けてくる可能性があると判断した連合国の上層部は、支配に便利な装置として昭和天皇をそのまま温存したわけです。

 マッカーサー司令官が昭和天皇と会見してその人柄に打たれたため訴追されなかった、というロマンティックな法螺話がまかり通っていますが、命のやり取りを職業にする連合国軍最高司令官がそのような情緒的な理由で物事を決めるはずもなく、また決められては占領される側はたまったものではありません。

 戦争中、マッカーサー司令官はマニラでも沖縄でも部下に占領政策を円滑に遂行するためには天皇を利用するより他はない、と語っていましたし、1944年7月に太平洋軍司令部が作成した文書のなかに、天皇を処刑すればすべての日本人が戦い、蟻のように死ぬだろう、彼らにとって天皇を処刑することはわれわれにとってキリストを十字架にかけることに匹敵する、天皇のもとでリベラルな政府を作るべきだ、という主旨のことが書かれています。
 要は戦前の日本人が軍国主義を強烈に牽引するのに天皇を利用したのと同様、米国人たちは平和主義に日本を引っ張って行くのに天皇を利用しただけのことで、しかもそれは見事に成功しました。

 昭和天皇は戦後人間宣言を行いました。
 後に三島由紀夫は「英霊の聲」で、などてすめろぎは人となり給ひし、と激しくこれに抗議することになります。
 しかし抗議など無用です。
 今現在も、今上陛下とその一族は人ではありませんから。
 生物学的には人ですが、社会的には生存権以外のほとんどの人権を制限されており、これは人間に対する仕打ちではありません。
 このような人はわが国には皇族しかいません。
 部落差別も真っ青というものです。
 強烈な差別を、我々国民は合法的に皇族に対して行っているのだという自覚が求められます。

 支配に便利な象徴天皇という装置は、どんな方向へでも、日本人を引っ張って行くことでしょう。
 それははるか古代からそうでした。
 昭和天皇は米国での記者会見で、そのことを言ったのではないでしょうか。

 支配に便利な装置は平和な時代に廃止して、天皇陛下には人権を付与し、実は日本人の多くが陛下に対して思っているお気の毒な方、から解放して差し上げたらいかがでしょう。
 チャウシェスクやマリー・アントワネットのようなことが起こる前に。
 また、後醍醐天皇のような人物が即位する前に。

 天皇は祭祀や和歌、蹴鞠などだけ行うのがよろしいでしょう。
 その伝統は志のある皇族がおられれば守っていけばよいし、誰もいなければ公募すればよいでしょう。
 血に価値を見出すのは差別以外の何物でもありませんから。


昭和――戦争と平和の日本
明田川 融,明田川 融,明田川 融
みすず書房


英霊の聲 オリジナル版 (河出文庫)
三島 由紀夫
河出書房新社


↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い