このたび日本維新の会の代表に就いた石原慎太郎前都知事、昭和7年うまれの80歳だそうです。
お元気ですねぇ。
他に昭和7年うまれというと、大島渚、小田実、青島幸男、小林亜星、山本直純、タルコフスキー、トリュフォー、江藤淳、五木寛之などがいるそうですが、今も第一線で活躍しているのは石原前都知事と五木寛之くらいでしょうか。
じつはこのことを知ったのは、亡父の蔵書であった五木寛之の「運命の足音」からです。
このエッセイ集には、終戦直後、平壌に住んでいた五木一家がたどった苦労や、浄土真宗への深い信仰が語られ、味わい深いものとなっています。
わけても終戦直後、進駐してきたソヴィエト兵に乱暴された母親が本土の土を踏むことなく亡くなったことや、教師として堂々と生きてきた父親が戦後生きる屍のごとくになってしまい、酒と博打に明け暮れ、ついには野垂れ死にするさまが赤裸々に語られる章は、読む者の心を打ちます。
しかも筆者は、つい最近までそのことを書く気が起きなかったと言います。
しかし最近、夜中などに亡き母親の「いいのよ」という言葉を頻繁に耳にするようになったそうです。
書いても「いいのよ」。
亭主の堕落も「いいのよ」。
大日本帝國の敗戦も「いいのよ」。
ついにはソヴィエト兵の乱暴狼藉も「いいのよ」。
筆者自身の心の変化による幻聴でしょうが、母親の「いいのよ」という言葉に、ずいぶん慰められたようです。
国家の利益がぶつかり合い、戦争が起きるのは人の世の常ですが、その底には筆舌につくしがたい苦労を強いられる庶民がいます。
とくに第一次世界大戦以降、戦争は戦場で軍人が行うものではなく、国民を総動員して子どもからお年寄りまですべてが戦場に投げ出されたような状態を現出せしめています。
さらに時代が進んで帝国主義国家同士の大規模な戦争から、一般庶民を巻き込んだテロ攻撃がさかんになり、ついには9.11の悲劇を生み出しました。
しかしそれらも、「いいのよ」と許してしまうのでしょうか。
お釈迦様は、生老病死の4つを、人間が絶対に逃れることの出来ない苦だと考えました。
わけも分からず生まれること、老いること、病を得ること、必ず死ぬこと。
人間は多かれ少なかれ、必ずこの四つの苦しみから逃れることはできません。
ひどくネガティブな思考ですが、しかし厳然たる事実を見つめ、ではどうしたら四つの苦しみを背負いながらも前向きに生きていけるかを考えます。
難しい言葉では四諦八正道という人生修行が挙げられますが、ここではそれを取り上げません。
取り上げたいと思うのは、慈悲ということです。
慈悲はあわれみの心などと解釈されますが、五木寛之は慰めと励ましと捉えているようです。
私は、仏の慈悲はともかく、在家の庶民ができる慈悲は、他人に寄り添ってともに悲しみや苦痛を味わうことだと思っています。
それを突き詰めたところに、「いいのよ」という幻聴が聞こえてくるのではないでしょうか。
大日本帝國の及び臣民の悲哀、ソヴィエト兵の苦悩、亭主の絶望、すべてに寄り添い、それを共にするならば、恩讐を超えて「いいのよ」という短い言葉が生まれるような気がします。
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