暗黙知

思想・学問

 なんだか軽い風邪がずうっと続いている感じで、今日も朝から微熱があります。
 こうなると、ひと冬続いちゃうんですよねぇ。
 困ったものです。

 今日、新聞で暗黙知、という概念を知りました。

 経験や勘などに基づく知識で、言葉では説明できないもの、だそうです。

 例として、知人の顔を覚えるとか、自転車の運転を覚えることが挙げられていました。
 たしかにどうして覚えたのか、なぜ忘れないのか、明確な言葉で説明することはできませんね。

 さらに敷衍して、暗黙知を軽視するところに現代社会の病理があり、共産主義や国家社会主義などの非人間的なシステムを生み出すもとになるのも、言葉に出来る思想や科学などを重視するあまり、暗黙知の無視または軽視にその原因があるのではないか、と推論していました。

 慧眼と言うべきでしょう。

 なんでも科学的に言葉で説明できなければならない、とする考え方は、人間として、いやむしろ生物としての在り方に反しているような気がします。

 人間はもっと摩訶不思議な力で動いており、暗黙知という概念を設定することは、それをよく表しているように思います。

 気が合うとか、惚れるとかいうのも、考えてみれば言葉では説明できないし、いけ好かない野郎だと思うのもまた然り。

 お釈迦様は悟りを開いたとき、あまりに深遠な教えなので、言葉で人に説くことはできないと考え、説法しようとしなかったと伝えられます。
 しかし三度説法を請われ、たとえ話など、比較的言葉にしやすい方法で説法を始めました。

 法華経にみられる火宅など、その好例ですね。
 また、常不軽菩薩の話なども、いわば例え話のようなものです。

法華経〈上〉 (岩波文庫)
坂本 幸男,岩本 裕
岩波書店

 

法華経〈中〉 (岩波文庫)
坂本 幸男,岩本 裕
岩波書店

 

法華経〈下〉 (岩波文庫 青 304-3)
坂本 幸男,岩本 裕
岩波書店

 仏教に限らず、およそ宗教というものは、その概念が説かれる前から、暗黙知を当然のこととして考えていたように感じます。
 そうでなければ、そもそも宗教なんて成立し得ないでしょう。
 それは神秘主義哲学なんかでもそうですね。

 今日新聞で初めて知った概念で、たいへん興味深く感じました。
 早速アマゾンで下の本を購入し、勉強してみたいと思います。

暗黙知の次元 (ちくま学芸文庫)
Michael Polanyi,高橋 勇夫
筑摩書房


マイケル・ポランニー 「暗黙知」と自由の哲学 (講談社選書メチエ)
佐藤 光
講談社



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