安岡章太郎の自伝的作品に、「海辺(かいへん)の光景」という小説があります。
教育ママだった母親が認知症を患い、精神病院に入院。
主人公は母親の最期を看取るため、10日ほどその病室で精神的におかしくなった母親と過ごします。
父との不仲、母への愛憎が率直に語られ、胸を打つ作品に仕上がっています。
私が父を最期に見舞ったとき、もはや虫の息で、その翌日には亡くなってしまったわけで、あるいは父は私に対する最期の教育を怠ったのかもしれません。
苦しみ衰えていく怖ろしい姿を見せ、人は最期はこうやって苦痛にのたうちながら死んでいくのだ、という恐怖の、そして真実の教育を。
安岡章太郎の母親は恍惚の人となってしまったその姿を息子にあますところなく見せつけ、安岡章太郎は壊れいく母を見ながらどうすることも出来ない、という喪失を長く感じさせられ、人の死についての最期の授業を受けたと言えるのではないでしょうか。
それを受けて、息子はその母親の子供であるということだけですでに充分に償っているのではないだろうか?、と独語する主人公のやりきれなさには、涙を禁じえません。
ずいぶん前に読んだ小説ですが、鮮烈な印象を残しています。
人の生も死も、60億の人がいれば60億通りのパターンがあるわけで、一人として同じであろうはずがありません。
安岡章太郎は海辺の病院でやりきれない10日を過ごして母親を看取り、私は浅草寺の五重塔が見える病室で父の最期の姿を見舞いました。
果たして子がいない私を見取るのは誰なんでしょうね。
甥や姪でしょうか。
でもそれじゃあ、申し訳ないような気がします。
できれば死期を悟った象や猫が、いずこへともなく消えてしまうように、私も死期を悟ったなら、絶対に見つからない秘境でテント暮らしをして最後の数日を過ごしたいものです。
![]() | 海辺の光景 (新潮文庫) |
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