毎年9月18日、中国では反日運動が起こります。
それと言うのも、昭和6年のこの日、柳条湖事件が起きたからに違いありません。
この日、満州鉄道の線路が何者かに爆破されました。
関東軍はこれを中華民国軍によるものと断定。
わが国政府もこれを追認し、これがきっかけで満州事変が勃発。
わが国は泥沼の15年戦争に突入することになりました。
戦後、この事件は関東軍参謀、石原莞爾中佐らによる謀略であったと判明。
にわかに反日気運が高まることとなりました。
石原莞爾という人、軍人ながらロマンチストのようなところがあり、西洋の代表たる米国と、東洋の代表たる大日本帝国が総力戦を戦い、大日本帝国が勝利して、その後東洋思想に基づいた恒久平和が訪れる、という最終戦争論を唱えましたね。
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石原 莞爾 | |
中央公論新社 |
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江川 達也 | |
PHP研究所 |
その後軍を追われた石原莞爾は田舎で農業に従事していたところ、戦局の悪化に伴い、陸軍内部で対立関係にあった東条英機首相から意見を求められ、上京。
対立していたとはいえ、東条首相は石原莞爾の優れた軍略を高く買っていたものと思われます。
石原莞爾は太平洋の占領地域が広くなり過ぎて補給が困難になっているとして、サイパンまで撤退し、その代りサイパンを要塞化し、さらに大軍をもってこれを守るべし、と意見具申します。
なぜなら、サイパン島と日本本土の距離を考えると、サイパン島が落ちると本土爆撃が始まるに違いなく、なんとしてでもそれを阻止しなければならず、その他の太平洋の占領地は捨てるべきだ、ということです。
それを聞いた東条首相は激怒。
日本兵が血を流して奪い取った島を敗れたわけでも無いのに撤退できるか、ということでしょう。
それはそうでしょうねぇ。
もしそんなことをすれば、正確な戦局の情報を持たない一般国民は激怒し、東条内閣は退陣に追い込まれること必至ですから。
結局太平洋の島々の守備隊は一つ、また一つと玉砕し、ついにサイパン島も陥落。
昭和19年の終わり頃から、激しい本土爆撃にさらされることになります。
戦後、日本国憲法を見た石原莞爾は、9条について、米国はソ連に対抗するため、必ず日本に再軍備を求めてくるだろうが、憲法9条を盾に絶対に再軍備に応じてはならない、と主張します。
最終戦争論の創始者であった彼は、勝ったのが米国だとしても、西洋流の倫理観に基づいた恒久平和が訪れることを願っていたものと思われます。
第二次大戦の結果、多くの植民地は独立を果たし、帝国主義列強は戦勝国も敗戦国もほとんどの植民地を失いました。
当然の帰結として、帝国主義国家群は民主主義国家に変貌し、大国同士のガチンコ対決はこの70年ちかく、発生していません。
恒久平和とまでは言えないとしても、かなり長い平和が訪れたと言って良いでしょう。
ただし、米国のようなお節介は、あちこちの紛争に首を突っ込んでは自国の若者の命を危険にさらしてはいますが。
最終戦争論、3割くらいは当たったと言えるかも知れません。
![]() | 石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人 (双葉新書) |
早瀬 利之 | |
双葉社 |