此の歌即ち是如来の真の形体なり。
されば一首詠み出でては一体の仏像を造る思ひをなし、一句を思ひ続けては秘密の真言を唱ふるに同じ。
我此の歌によりて法を得ることあり。
もしここに至らずして妄(みだ)りに人此の道を学ばば、邪路に入るべし。
上記は、「明恵上人伝記」に見られる、西行法師の言葉です。
歌を詠むことを仏道修行と考え、仏像を彫るごとく歌を詠む、という覚悟のほどが示されていますが、少々カッコつけな感じがしますね。
月を見て 心浮かれし いにしへの 秋にもさらに めぐり逢ひぬる
独り草庵で月を見ていて、出家前の、月に浮かれた頃を思い出して感慨にふける歌と見えます。
西行法師らしい感傷が感じられます。
なにごとも 変はりのみゆく世の中に おなじかげにて すめる月かな
こちらも月。
何事も変化してやまないのに、太古から変わらず美しい光を放つ澄んだ月を賞賛しています。
ゆくへなく 月に心のすみすみて 果てはいかにか ならむとすらむ
またまた月。
こんなに月光に心奪われて、自分はどうなってしまうんだろう、と嘆いています。
自由奔放な歌で、西行法師以前には見られなかった歌風ですね。
心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫(しぎ)たつ沢の秋の夕暮
心なき、を、情趣を解さない無粋な私、と読むか、出家して俗事に疎くなった私、と読むかで歌の趣は大分変わってきますね。私は冒頭の西行法師の言葉を信じ、俗事に疎くなった私、を取りたいと思います。
出家しても、鴫が立つ沢を見ているともののあはれを感じることだ、と喜んでいるのか、嘆いているのか。
山里は 秋のすゑにぞ 思ひしる 悲しかりけり 木がらしの風
山里では秋の末になって、木枯らしが悲しいものだと思い知る、と、山里で暮らす人々の悲しみを詠っています。
今日から10月。秋も本番です。
西行法師の秋の歌をいくつかピックアップしてみました。
この人ほど、日本人の心をとらえて離さない歌詠みはいないでしょう。
どこかセンチメンタルで、奔放。自由ななかに、隠居趣味。
季節の歌もそうですが、恋の歌も数多く。
後世の歌人・俳人・詩人・作家等に与えた影響ははかりしれず。
私が第2作品集「荒ぶる」の表紙に月光を選んだのも、西行法師の影響なしとしません。
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