急ぎの仕事がなく、ぼんやり過ごすことが多くありました。
そんな時頭をよぎるのは、来し方行く末のこと。
34年間、国立の研究施設で事務職として働きました。
仕事は大して面白いものではなく、なんとなくこなしてきました。
一時パワー・ハラスメントの被害にあって、精神病を患い、治療は今も予防的に続いていますが、まぁまぁ働いてきたつもりです。
それなのに年を取って何事も億劫になったらしく、手を動かす仕事が面倒でなりません。
しかし私は兵隊に過ぎず、指揮を取る立場にはありません。
手を動かさなければ単なる働かないおじさんになってしまいます。
昔のような馬力は無くなり、仕事を前に立ち尽くす初老の男がいるだけです。
あの時こうしていれば、という後悔は山のようにありますが、私はただ安定だけを求めてこれまで生きてきました。
人は毎日小さな選択を重ねて生きています。
お昼に何を食べようか、どの服を着ようか、小さな選択の連続です。
その選択の結果として、今の私が在るわけです。
それは間違いだらけだったのではないかと、今になって思います。
私よりも2歳上の先輩は2年前に早期退職しました。
「若返りたい」という不可能な願望を呟いていました。
私は若返りたいとは思いません。
これまで重ねてきた苦労と阿呆を、形を変えて繰り返すのはあまりにも面倒です。
退職金をもらえば一生食えるくらいの蓄えは出来ました。
では退職するかとなると、ここは大きな選択になります。
退職してもしなくても後悔はするでしょうね。
56歳での引退は少し早いような気もしますし。
今、大いに惑っています。