北朝鮮では多くの民が飢え、場合によっては飢え死にする者も少なくないと聞き及びます。
飽食のわが国からは考えれらないことです。
しかし、過去、わが国にも飢饉が襲い、多くの人々が飢え死にしました。
とくに東北地方において、昔は米の育ちが悪かったせいか、飢饉は頻発しました。
宝暦8年には、八戸藩2万石のうち、18,573石の損害があったと言いますから、ほぼ全滅ですね。
「耳目凶歳録」には、三歳の幼児だも髑髏をもって蹴鞠を学び、とありますから、その惨状は目に余るものであったでしょう。
幼児が髑髏で蹴鞠をするなど、まるでホラー映画です。
「飢歳凌鑑」には、
さる人いわく、大工の曲尺立てみれば上はまがり下直なり。
工に用いるときには高くひくくせまく丸く四角、なにになるにしても自由自在いかさま御上は曲尺を立てたるがごとし。
曲たる中に直あり。
このたびの御吟味直過ならば大分下の迷惑もあるべきに、けんもんのかすみにて眼力も曇り、吟味の先が見分らざるこそ直なり。
これ何事も非理法権転の御政事地獄の沙汰もかね次第、南無阿弥陀仏、助け給え。
という記述が見られます。
これは役人に賄賂をにぎらせてどぶろく造りの罪を逃れる話しですが、上は曲がっていて下は直だけれども、曲のなかにも直がおり、それは民を苦しめるが、賄賂で罪を見逃すくらいの曲がった役人でちょうど良い、という強烈な皮肉です。
他に、百姓を親、武士を子に見立てた文章もあって、親(百姓)が一生懸命米を作って子(武士)を養育してやっているのに、子(武士)は親(百姓)に感謝するどころか、ひどい仕打ちをする親不孝者だというのです。
当時絶対であった身分制度をやすやすと乗り越え、支配階級をあざ笑う東北の民というのは、どれだけひどい目にあったのでしょうね。
そしてこのたびの東日本大震災。
この国の神々は、まるで東北の地を呪詛しているかのごとくです。
しかしだからこそ、我慢強く、高い倫理規範を持った東北人気質が生まれたのかもしれません。
戦中、陸軍は出身地別の部隊をよく編成したそうですが、九州の部隊は威勢は良いが長期戦に弱かったのに比して、東北の部隊は長い消耗戦によく耐えたそうです。
私の父方の先祖は青森の出だとかで、もう青森との関係性はありませんが、東北という荒々しくも神々しいイメージに惹かれて、学生時代、二週間ほど旅したことがあります。
11月の中旬でしたが、もう雪がちらついていて、過酷な気候でしたねぇ。
だからこそ、ねぶた祭りなど東北の夏祭りは激しくはじけるのでしょう。
私が東北に住むことはないでしょうが、なんとなく、憧れますねぇ。
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