梅雨

文学

  関東地方は今日梅雨入りだそうですね。
 例年に比べてずいぶん早い梅雨入りです。
 梅雨というのは多分、季節の豊かなわが国において、最も嫌われている時季でしょうね。
 じめじめしているし、外出も億劫だし、春の花や夏のホトトギス、秋の月だのといった、その季節を象徴する名物が冴えないんですよねぇ。
 紫陽花と雨ですからねぇ。

 近代以降はともかく、古典の部類に入る和歌に、紫陽花や梅雨を読んだ歌が極端に少ないというのも、日本人の梅雨嫌いの表れでしょうか。
 もっとも梅雨嫌いは日本人に限ったことではなく、ロシア人の奥さんをもらった友人がいるのですが、その奥さん、梅雨を、絶望的な季節と呼んで帰国し、10月まで戻らないそうです。

 数少ない梅雨の歌の中から、比較的有名なものを。

 千五百番歌合」から。

 夏もなほ 心はつきぬ あぢさゐの よひらの露に 月もすみけり   藤原俊成 

 夏であっても心が尽き果てるようなあはれを感じさせるものだ、あじさいの花についた露に澄んだ月の光が宿っているのを見ていたら、といったほどの意でしょうか。

 あぢさゐの 下葉にすだく 蛍をば 四ひらの数の 添ふかとぞ見る  藤原定家 

 日が暮れて、暗くなるとあじさいの花の色はかくれてしまい、そのあじさいの葉の下のあたりに蛍が集まってきて、その蛍の光であじさいの花が増えたように見える、といったほどの意でしょうか。

 藤原親子、なかなか良いところに目を付けましたね。
 特に俊成の歌は良いですねぇ。
 紫陽花の四枚の花に月が住んでいるなんてねぇ。

 現代の歌謡曲や演歌やポップスを作る作詞家の先生方には、こういうわが国伝統の、
物に仮託して遠まわしに感情を表現する技法を学んでいただきたいものです。
 あまりに露骨な表現はわが国の言語表現では嫌われてきたところです。

 実を言うと私も梅雨が嫌い。
 ついでに言うと、あの仰々しい紫陽花も嫌い。

 しかしひとたび歌に詠めば、それは現実の鬱陶しい雨や紫陽花ではなく、観念の上に咲く美しい花になり、輝く雫ともなりましょう。
 

藤原俊成全歌集
松野 陽一,吉田 薫
笠間書院
藤原定家 (コレクション日本歌人選)
村尾 誠一
笠間書院
藤原定家の時代―中世文化の空間 (岩波新書)
五味 文彦
岩波書店

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