楽にならざり

文学

 お昼休みになりました。

 今日は13時から会議。

 数年前までは、仕事納めの日に会議や行事を入れることなど考えられませんでしたが、隔世の感があります。
 昨日のうちに資料をそろえ、のんびり午前中を過ごすつもりが、議長から急きょ3本も議題を追加すると言われ、資料の修正・追加に追われました。
 なかなか楽になりませんねぇ。

 ちょっと意味は違いますが、

 働けど働けど我が暮らし楽にならざり、じっと手を見る

 という石川啄木の歌を思い出さずにはいられません。
 私は安月給ですが、同居人も正規で働いていますし、たいして金のかかる道楽もないため、経済的に暮らしに困ることはありません。

 しかし、双極性障害という爆弾を抱えているため、いつ長期病気休暇に入るかわからない、という不安があります。
 長期病気休暇に入ると、三カ月までは満額給料をもらえますが、四ヶ月目に入ると6割くらいに減額されます。

 それより何より、精神的にきついことが持病がある私の不安の種。
 我が暮らし楽にならざり、という文句は、私にとって金銭面のことではなく、精神的な余裕を実感できないことを表す言葉です。 

 やることがないのが一番つらい、という人をみかけます。
 それはそうかもしれませんが、やらなければいけないことが多いのはそれに倍してしんどいですねぇ。

 私は意外にも多趣味で、読書をしたり、ホラー映画を観たり、散歩をしたり、美術館に出かけたり、歌舞伎や能を観たり、駄文を書き散らかしたり、やることが無いということはありません。

 安月給ではありますが、暮らしは立ちいっているので、私は何より時間が欲しいですねぇ。
 おそらくサラリーマンの誰もがそう思っているのでしょうが。

一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集 (新潮文庫)
石川 啄木,金田一 京助
新潮社

 
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