歴史から学ばない

社会・政治


 広島に原爆が投下されて今日で80年。
 もう被爆者で生き残っているのは幼児のころ被爆した者だけです。
 そう遠くないうちに、最後の被爆者が亡くなった、というニュースが流れるかもしれません。
 それはその間核兵器が使われなかったということで、良いことだと思います。
 しかし現在の世界情勢を見ると、小型の核兵器を使用することがあるかもしれません。
 誠に怖しいことです。
 私は母が4歳の頃長崎で被爆した被爆2世。
 被爆2世だからと言って、何も症状はありません。
 米軍がベトナム戦争時に使用した枯葉剤は子や孫の世代にまで悪影響を及ぼすと言いますから、それが無かったことは不幸中の幸いと言わねばなりません。
 長崎で被爆した私の親戚たちは爆心地からやや離れていたせいか、原爆によって健康を害したという話は聞きません。
 これも不幸中の幸いです。
 80年、核兵器が使用されなかったことは奇跡に近いことだと思います。
 世界には核保有国はあまたあり、それらの国々は第二次大戦後も戦争を何度も起こしています。
 戦争指導者の多くは核兵器使用の誘惑に駆られたと思います。
 特に戦争相手国が核武装していない場合。

 核武装していなくても、多くの国はどこかの国の核の傘の下にいますから、それが抑止力になったことは間違いないでしょう。
 わが国も米国の核の傘下にいたおかげで、恐怖による平和により、これまで平和を維持できました。
 理由はどうあれ、平和が維持されるのはありがたいことです。
 テレビで流れるウクライナ戦争やパレスチナの戦争を見ていると、特にそう思います。

 誰もが嘆くことですが、人間は何千年にも渡って殺し合いを続けており、それは現在も続いいて、なぜ戦争の惨禍から学習しないのでしょうね。
 誰がどう考えても、千回考えても戦争に良いことなどありません。

 人間が歴史から学べることは、人間は決して歴史から学ばないということだけだ。
 ヘーゲルの言葉です。

 だからこそ、核兵器や強力な通常兵器の保有に依って、互いに恐怖を抱くことでしか、戦争を抑止することが出来ないのだろうと思います。

 ウクライナ戦争はもう3年以上続いていますが、まだ終戦への道筋が見えません。
 当初は数か月でロシアがウクライナを占領しておしまいかと思われた戦争ですが、西側諸国が参戦はしないまでも強力な武器を多く供与して、ウクライナ軍はロシア軍とまともに戦っています。
 わが国から見るとロシアによる一方的な侵略に見えますが、ロシアの一般庶民はウクライナをファシスト国家であり、滅ぶべきだと考えている人が多いそうです。

 敵を人間と見なくなることが戦争の怖しい点です。

 ドイツはナチという非人間と見られ、わが国は天皇のためなら自殺攻撃も厭わない狂気の集団と見られ、わが国は米英を鬼畜と呼んで人間扱いしませんでした。
 相手が人間でないのなら、殺すことにさしたる抵抗を覚えないし、兵隊の意識を変容させ、敵は人間ではないと思わせることは、戦争遂行に多いに役立つでしょう。

 戦争を防ぐことの教育には、どんな国、どんな民族、どんな宗教であっても、同じ人間だということを叩き込むことが重要です。

 例え米国の超高層ビルに民間機を突っ込ませるという怖しいテロを働いた狂気の集団といえども、飯を食って糞をして眠り、家族のいる人間です。

 そのことを十分に、互いに得心すれば恒久平和は成ると思います。
 しかし無理でしょうね。
 私がここまで書いてきたことは、誰でも分かる平易な理屈であって、憎しみや野心を消し去る強い動機付けにはならないでしょうから。
 
 これからも人間は何かと理屈を付けて敵を作り、攻撃を仕掛けて戦争を始めるでしょう。
 悲しいかな、それが人間という種の本質なのでしょう。