死と宗教、あるいは、詩と真実

思想・学問

 今日も今日とてクソくだらない会議があり、腹の底では馬鹿馬鹿しいと思いながら、求められればさも重大事のような顔をして発言を繰り返しました。

 人間が生きるということ、それぞれの業界でのルールを守り、糞真面目そうな面をして、芝居を繰り返しているかのごとくです。

 そして今、わずかな夜の時間を焼酎のロックで心を休めています。

 人生にとって究極的に重要なのは、詩と真実、そして、死と宗教の問題であるに違いないと思います。
 さらに言えば、死という意味不明な事態の究明。

 しかし、それら究極的に重要な、人であれば誰でも知りたいと思うことだけは、絶対に知り得ないように出来ているのが冷厳な事実です。
 知り得ないと知りながら、それを求めてしまう人々は、嘘でも良いから宗教をでっち上げ、それを信じることによって、精神の安定を得ているものと推測します。

 私は長い精神障害の苦しみから脱出し、最後の病気休暇から職場復帰し、そろそろ4年近くが経とうとしています。
 その間、私の魂は激しく動揺しながらも、どうにかこうにか日々の業務をこなしています。

 先日の精神科の診察では、主治医から、「そろそろ抗うつ薬を完全に切りますか?今でもすでに気休め程度の量ですし」と言われましたが、完全に切るのは不安だったので、今年度いっぱいは今までどおりの薬で様子を見たい、とお願いして、そのとおりになりました。

 主治医から診て、少なくとも抗うつ薬は必要ないと思ったのでしょうねぇ。

 一時期、抗うつ薬・抗不安薬・睡眠薬など、一回につき13錠、一日40錠ちかく飲んでいた薬が、今は1日1錠まで減りました。

 それ以外に、頓服の抗不安薬は不安な時に飲むように、と貰っていますが、ほとんど飲みません。

 ほぼ精神障害は脱したものと思われます。

 精神障害をほぼ脱した今こそ、詩と真実、そして死と宗教の問題について、深く考えてみたいと思う今日この頃です。

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