死ぬ

映画

 今日、大好きな寅さんシリーズの、伊藤蘭がマドンナの作品を観ました。
 若くて元気な寅さん、おいちゃん、おばちゃん、そしてさくらにひろしに満男。
 みな若い。
 若いということ、それだけで溌剌として美しい。

 しかし今、寅さんも、おいちゃんも、おばちゃんも、この世の人ではありません。
 映像のなかに残された元気な姿が、切なく感じられます。

 おぎゃあと生まれた赤ちゃんは、少年、青年、中年の時を経て老境に至り、必ず、死んでいきます。

 人間(じんかん)五十年。

 人の世にいられるのは五十年だとか。
 私は今52歳。
 もう、それを超えています。

 思えば多くの人の死を見てきました。
 思い出すだけで泣けてくる父の死。
 義父の死。
 あまたの職場の先輩の死。
 切ないのは後輩の自殺。

 それらあまりに多くの死に接して、思わないわけにはいかないのが、私自身の死です。

 死ぬのは怖ろしい。

 しかし生きていくのも面倒だというのが、私の偽らざる心境です。

 死ぬに至るには、衰えがあり、体の各地に痛みがあり、誠に苦しいことだと思います。
 私は先人の死の在り様を思い、己の死が、安らかでありたいと願います。

 死の問題を考えるのに、若いということは無いと思います。
 物心ついた瞬間から、それを考えずにはおられないのが人間だと思います。

 私が老醜をさらしながら長生きするのか、父のように突然死のような死に方をするのかは分かりません。
 しかし、どうか老醜をさらすことのない死を迎えたいものだと思います。

 喜劇でありながら、死を考えざるを得ない名品だったと思います。