死の季節ー右大臣の憂鬱ー

文学

  冬季うつ病なんて言って、冬はうつ状態に陥る人が増えるそうですね。
 寒いし、日は短いし、死を予感させる季節であってみれば、仕方ないのかもしれません。

 28歳で甥、公卿に殺害された右大臣源実朝は、父、頼朝亡きあと、政情不安が続き、兄の頼家が追放されてなお殺害された事実から、家臣に次のような絶望的な言葉を述べています。

 源氏の正統は此の時に縮まりをはんぬ。子孫敢えて之を相継ぐべからず。

 源氏の嫡流は自分で終わりにしようというわけです。
 おそらくは、そう遠くないうちに、家臣らに暗殺されるであろう運命を、かなり明瞭に意識していたのではないかと思います。
 そういう意味では、12歳で将軍になった時から、死の季節を生き続けていたのかもしれません。

 現とも 夢とも 知らぬ世にしあれば ありとてありと 頼むべき身か 

 現実とも夢ともつかぬ世の中で、生きているといってもそれを頼みにできるだろうか、といった意かと思います。

 聞きてしも 驚くべきにあらねども はかなき夢の 世にこそありけれ

 人の死を聞いても驚くにあたらないが、それにしてもなんとはかない夢のような世の中であることよ、といった意でしょうか。

 いずれも、右大臣の、厭世的というか、絶望的な死生観が見て取れますが、この人の歌は不思議と澄んで清らかです。

金槐和歌集 (岩波文庫)
源 実朝
岩波書店

 かの正岡子規が、あと20年生きていれば、どれほどの歌詠みになっていたことか、と嘆いたというのもうなづけます。

 右大臣は源氏の嫡流であるという貴種であるがゆえ、死の季節を生きなければならなかったわけですが、明治以降の戦争では、いずれも名も無い雑兵こそが、死の季節を生きる運命を背負っていました。
 誠に悲しいことです。

 欧州でも、わが国でも、中世においては戦いは日常茶飯事。
 貴種でも庶民でも、死の季節を生きなければならなかったことは同じなのかもしれません。
 人の死が、現代から考えられないくらい軽い時代だったのでしょうね。

 戦いで死ぬ可能性は極めて低い現代日本に生まれたことは、この上ない僥倖というべきでしょう。

 しかし、その僥倖をただ喜ぶのではなく、将軍にして右大臣であったほどの身分の高い人が、常に暗殺に怯えなければ生きていけなかった時代があったことを、時には思い出し、わが国及び全世界の平和を願わなければなりますまい。


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