死への存在

思想・学問

 北朝鮮が韓国の島を砲撃しましたね。
 二名の死者が出たとか。
 金王朝はやりたい放題。
 第二次朝鮮戦争に発展しなければよいのですが。 
 そこで、死ということを考えてみたいと思います。

 生物はいずれ死ぬ運命にあるわけですが、人間だけが死を認識し、恐れます。
 その恐怖を和らげようとしたのか、キリスト教やイスラム教では最後の審判で人間は生き返り、天国へ行けると説きました。
 仏教でも、極楽往生とか、輪廻転生とかを説いて、死は全ての終わりではない、と説明しています。
 神道では、イザナギが死んだイザナミに会いたくて黄泉の国に行く神話が描かれ、あの世とこの世が地続きになっています。

 しかし近代に至って、死は絶対的な終わりであり、虚無であるとする考えが支配的になってきました。
 そうなると、宗教が教える死後存在ははかないものになってしまいます。
 ハイデガーは、「存在と時間」で、人間を死への存在と規定しました。
 死にゆく存在という意味ではなく、いつも死を意識せざるを得ない存在という意味です。

 青春を謳歌する生そのもののような光り輝く少年少女たちでさえ、死を考えたことがない、という者はごく少数でしょう。
 人間は常に死に怯え、死後のことを考えざるを得ないのです。

 合戦の庭に出て、死は案の内の事、生は存の外のこと也。保元物語)
 
 常住死身。葉隠)

 侍は、特に死を意識して生きていたことでしょう。
 常住死身とは、いつも死を意識しているということではなく、日常の一挙手一投足が死に直結しているような覚悟を持った生き方かと思います。

 死を自覚して生きるということは、生を充実させる、とまでは言いますまい。
 しかし、今この瞬間にも天から飛行機が降ってくるかもしれず、心臓発作を起こすかもしれず、死の訪れは不条理なまでに唐突であることを覚悟しなければ、死を意識する能力を持ってしまった人間として、もったいないのではないでしょうか。
 常住死身という生き方は、生の充実までは求めなくても、少なくともおのれの人生を自覚的に生きる助けにはなると思うのです。

存在と時間〈上〉 (ちくま学芸文庫)
Martin Heidegger,細谷 貞雄
筑摩書房
存在と時間〈下〉 (ちくま学芸文庫)
Martin Heidegger,細谷 貞雄
筑摩書房
保元物語 (現代語で読む歴史文学)
武田 昌憲
勉誠出版
葉隠 (講談社学術文庫)
小池 喜明
講談社
葉隠入門 (新潮文庫)
三島 由紀夫
新潮社

 

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