今日は連合赤軍事件で主導的役割を果たした永田洋子の命日だそうですね。
65歳で獄死して丸2年。
連合赤軍事件は、山岳ベースと言われる秘密のアジト、山梨の山中で同志12名をリンチによって殺害した事件と、追い詰められた連合赤軍があさま山荘に立てこもって複数の警察官や民間人に発砲した事件を総称したものです。
「漂流記1972」や「光の雨」、「突入せよ、あさま山荘事件」など、連合赤軍側から事件を描いたもの、警察側から描いたものなど、多くの小説や映画が製作され、この事件への世間の関心の高さを物語っています。
森恒夫をリーダーに、永田洋子・坂東国男・坂口弘などの幹部が主導して行った仲間への凄惨なリンチ殺人、及び都内へ脱走した2名を追って殺害した事件などは、共産主義独裁を志向する者によって引き起こされたポル・ポト派による大量虐殺や戦前の日本共産党の事件などとの類似が見られ、共産主義の理想はともかく、それを現実社会に現出させようとすると必ず起こる病理であるかのごとくです。
永田洋子は冷酷で嫉妬深く、しかも自分の考えというものがなく、その時々で信奉する男性指導者の言いなりになると言われ、ある意味可愛い女なのかもしれません。
最高裁で1990年代に死刑が確定した後も、刑を受け入れることなく、再審請求を繰り返しながら、刑を執行されることなく病死しました。
いったいに過激な左翼テロリストは、凄惨な暴力事件を起こし、それを共有することによって共犯者となり、そのことが彼らの結束を強めることになり、また、偏った理論を信奉する強い動機づけになったものと想像されます。
彼らを極悪非道の悪人と決めつけることは簡単で、実際そうなのでしょうが、人間誰もがそういった冷酷なテロリストに成りうる精神性を持っていると私は思っています。
自分だけはそんなことはしない、と信じ込むことのほうが、馬鹿げていると言えましょう。
永田洋子は病死しましたが、坂口弘は死刑が確定したままいつまでも執行されず、坂東国男にいたっては日本政府が極左テロリストとの取引に応じて釈放され、未だに行方不明です。
あさま山荘事件では、当時警察官僚だった亀井静香や、初代内閣調査室長を勤めた佐々淳行らが突撃隊を率い、人質も犯人も誰一人傷つけることなく警察の完全勝利に終わりました。
当初警察は彼らが自白したリンチ殺人を信じなかったそうです。
10数名の同志を逃がすために嘘をついている、と。
しかし彼らの供述した場所を掘ってみたら人骨が出てきて、それによって左翼運動に同情的であった世論は一気に冷めて、わが国における左翼運動は事実上終焉を迎えました。
その20数年後に地下鉄サリン事件が発生しましたね。
共産主義過激派が壊滅しても、宗教という新しい過激派が生まれたというわけで、いつの時代も形はどうあれ暴力的な革新運動に惹かれる者がいることを痛感させられました。
それらは人間社会に必ず発生するバグのようなものなのでしょうねぇ。
圧倒的多数の穏健な人々を守るのは容易なことではないと実感します。

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