永遠

文学

 今日は梅雨寒。
 最高気温は20度程度と、ずいぶん涼しく感じられます。

 考えてみると、梅雨を詠んだ俳句というのは、あまり思いつきません。
 俳句というと自然美に人情などをからめて詠む短い定型詩という印象が強いのではないでしょうか。

 しかしあえて、この中途半端な梅雨の時季に、哲学的とも言うべき、永遠を感じさせる句を鑑賞してみたいと思います。

 生きかはり 死にかはりして 打つ田かな    村上鬼城

村上鬼城の世界
松本 旭
角川書店

 この句は極めて分かりやすいながら、どこか不気味な感じが漂って、この俳人の持ち味がよく出ていると思います。
 生きかはり死にかはりという句に、人間の営みの、命のサイクルとでも言うべき永遠性が感じられます。
 じつにスケールの大きな句で、俳句というもののイメージをぶち壊すような破壊力を感じます。

 百年後の 見知らぬ男 わが田打つ 齊藤美規

白壽―齊藤美規句集 (今日の俳句叢書)
斉藤美規
角川書店

 この句も、100年後という遠い未来に思いを馳せて、SF的な趣を醸し出しています。

 100年後、私の職場が存続しているのかどうかさえ分かりませんが、まだ存在していたら、相も変わらずつまらぬ事務仕事をやっているのでしょうねぇ。
 そう思うと、100年後の後輩が気の毒にすら感じられます。

 竹陰の 筍掘りは いつ消えし   飴山 實

飴山実全句集
飴山 実,大岡 信
花神社

 この句はまた、死の影を感じさせて不気味です。
 いつの間にかいなくなった筍掘りは、どこに行ったのでしょうか?
 そもそも、存命なのでしょうか。

 象は死期を悟ると、群を離れ、一人、いずこへともなく消えていくと言います。
 そしてどこか誰も知らない場所に象の墓場があるとか。
 象は誰に教わるでもなく、墓場を知っているのでしょうか。

 私は死期を悟ったなら、永久に凍り付いている極寒の地に消え去り、そのまま凍り付いて、冷たい氷の中で保存され続けたい、という昏い欲求を隠し持っています。 

 これらの句は、永遠を暗示するという、俳句が持つ無限の可能性を秘めているようで、私の胸を打つのです。

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