時代劇なんかを見ていると、そう裕福でもなさそうな下級役人や町人が、昼間っから蕎麦屋や一膳飯屋で一杯やっているところを見かけます。
ぜんたいに江戸っ子というのは仕事が嫌いで、大店の若旦那など、和歌を詠んだり吉原に繰り出したりして身上をつぶし、
売家と 唐様で書く 三代目
などという川柳も作られたほどです。
つまり、金がなくて家を売るにも、唐様つまり中国風で看板を書くということで、教養があったということでしょう。
商家などに奉公に出ても、江戸っ子は手を抜くことばかり考えて働かず、番頭になって取りたてられ、のれん分けを許されるのは専ら田舎から出てきた貧乏なのせがれだったと言われています。
その江戸っ子、江戸時代末期には100万樽もの酒を一年間で消費していたというから驚きます。
きっと田舎の水呑み百姓にとっては、酒なんて夏祭りの時と正月くらいしか飲めない貴重品だったでしょうに。
江戸の人口は100万人くらいと言われています。
中には下戸もいたでしょうし、武家の女は酒を飲まなかったでしょうし、子どもも当然飲みませんから、単純に考えて50万人くらいで年間100万樽を飲んでいたくらいの計算になりましょうか。
当時は四斗樽が一般的で中身は40升。それを50万人が年に2斗飲むとすると、80升。
一か月で6.66升。
一週間で1.66升。
毎日飲むとすると2.38合。
なかなか毎日は飲みませんから、一日おきだとすると、一回に五合ちかい酒を飲まなければ足りません。
驚くべき酒量です。
まあ実際は個人差があって、千差万別だったのでしょうが、江戸に豊富な酒があり、わりと安く手に入ったであろうことが知れます。
とくに当時は江戸の酒が人気だったそうです。
今、東京の酒が旨いという印象はまったくないですね。
どちらかというとまずそうです。
きっと江戸時代は、新興都市として上方に対する対抗心が強く、無理にでも江戸の物が良いと頑張っちゃったんじゃないでしょうか。
ある商家では、30歳になるまで親の許しがなければ酒を飲んではいけない、という家訓が残っています。
それほど酒は怖ろしいキチガイ水だと思われていたのでしょうね。
現代にも、アルコール依存症の患者は数多くいます。
覚せい剤などと違って、飲み屋はどこにでもあるし、ファミレスでも酒を置いているし、コンビニでもスーパーでも駅の売店でも自販機でも、ありとあらゆる場所で安価に買えるものですから、依存症になっちゃうと誘惑を断ち切るのが難しいでしょうね。
私も若い頃はゲロはくまで飲んだり、ひどい二日酔いになったりしましたが、さすがに不惑を越えると二日酔いの気持ち悪さがいやで、せいぜい3合くらいしか飲めませんし、毎日飲むと調子を崩すので休肝日は必須です。
酒毒にあたらぬよう、楽しく酒を味わいたいものです。
![]() | 江戸の酒―その技術・経済・文化 (朝日選書) |
吉田 元 | |
朝日新聞社 |