沖縄返還

社会・政治

 今日は1972年に沖縄が米国からわが国に返還された記念すべき日ですね。

 学生時代の友人が沖縄出身で、卒業後沖縄に帰ったこともあり、何度か、沖縄を訪れています。

 もともと日本とは別の独立国、琉球王国であったこともあり、食べ物も風俗習慣も日本本土とはかなり異なり、それが沖縄の観光資源にもなっています。

 沖縄の人々のなかには今も、薩摩藩を通じてわが国に属し、同時に清国にも朝貢していたという、いわゆる両属国であったことから、日本や中国を面白からず思っている人がいるやに聞き及びます。
 また、太平洋戦争での沖縄戦が悲惨であったことなどから、左派政党が強いことでも知られています。

 ある時宮古島の歴史博物館を訪れて、沖縄の印象が一変したことを覚えています。
 日本や薩摩藩、清国などから受けた被害が陳列されているのかなと思ったら、さにあらず。
 沖縄本島の琉球政府から受けた苛烈な仕打ちに対する恨み言が並んでいたのです。

 なるほど、沖縄本島周辺の小さな島々から見れば、琉球王国こそが侵略者であり支配者であったのですねぇ。

 力が弱い者は強い者に侵略され、その侵略者もまた、より強い者に侵略されるというわけで、この世はどこまでいっても力が支配しているのかと、愕然としました。

 そんな中、1972年の沖縄返還は、世界史上稀にみる慶事であったと言って良いでしょう。

 総力戦を戦って奪い取られた領土が、平和的に返還されたのですから。

 普通に考えれば、奪い取られた領土を取り戻すには、再び戦うしかないはずです。

 当時の佐藤栄作首相の粘り強い交渉は驚嘆に値します。

 そういえば沖縄出身の友人、3浪したため私より3つ年上でした。
 ために小学校に上がる頃まで、日本本土に渡るためには米国のパスポートが必要であったと、感慨深げに語っていたことを思い出します。

 わが国の高度成長期、沖縄は米国の施政権下にあったためにその恩恵に与れず、沖縄県民の所得は今も低く、しかも巨大な米国の基地が存在するせいで、交通の利便性が損なわれ、米兵の犯罪や訓練機の事故などのリスクにさらされています。

 沖縄の米軍基地はわが国の防衛とアジア太平洋の安定に死活的に重要で、これを廃止することは現実的ではありません。

 同時に、沖縄県民の生活レベルを向上せしめ、種々のリスクを軽減することは、なかなか難しい問題です。

 だからこそ、沖縄開発庁なんていう役所が存在したのでしょう。

 沖縄返還42周年を祝うとともに、種々の問題の具体的解決策を真摯に検討しなければなりますまい。

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