今日は11時から親戚の法事です。
22年前にわずか18才で病死した少女の23回忌。
生きていれば今年で40才。
どんな中年女性になっていたでしょうね。
しかし彼女は記憶の中で永遠に18才のまま。
その時のご両親の嘆きはいかばかりであったでしょうか。
ご両親は75歳を超え、後期高齢者となりました。
今でも毎週墓参りを欠かさないそうです。
定命は天の知るところとはいえ、いかにも過酷な運命です。
そう考えると、もうじき43才になる私は、ずいぶん長生きしたと言えるのかもしれません。
死という事態、これは100%確実に私たちを襲い、しかもその事態は何者であるのか誰も知りません。
宗教を深く信仰している人は、例えばキリスト者であれば天国行きを、浄土教信者であれば極楽往生を信じてはいるでしょう。
しかしそれは信じているだけであって、知っているのとは違います。
輪廻転生を信じる者もいれば、魂の不滅を信じる者もおり、永遠の無に陥るのだと信じる者もいます。
結局のところ、誰にもわかりません。
分からないから怖ろしいのでしょう。
そうかと思えば、自殺する者も数多くいます。
どうせ放っておいたっていつかは必ず死ぬものを、自らそれを早めたり、あるいは他人を殺したり、愚かなことです。
そういう意味では、死刑というのも馬鹿げています。
人間はおぎゃあと生まれた瞬間に、すでに死刑判決を受けているのですから。
私が望むのは、唯一つ。
痛みの少ない死。
一般にわが国は、ペイン治療が遅れているといわれています。
とにかく生かしておくことを第一に、よりよい死のための医療行為は、考えることすらタブー視されているかのごとくです。
しかし、よいよいになって、生きているというより死んではいないというだけの状態になったなら、痛みを取る治療だけを受けたいものです。
痛いのは辛いですからねぇ。