泥仕合

社会・政治

 河村たかし名古屋市長が、「南京大虐殺はなかった」と発言して中国の怒りを買っていますね。

 南京大虐殺については、大虐殺派、小虐殺派、否定派、三者入り乱れての泥仕合が何十年にも渡って続けられています。

 事件当初、中国国民党は2万人程度の虐殺が行われたとして国際連盟に訴えましたが、国際連盟はこれを黙殺しました。

 その後中華人民共和国が成立しましたが、毛沢東はほとんど南京大虐殺に興味を示さず、言及することもありませんでした。

 その後中国政府は20万人虐殺と言いだし、現在では30万人虐殺と言っています。
 わが国では、南京大虐殺を認める学者でも、中国政府が唱える30万人を支持する者はいません。
 なぜなら、当時の南京市民が25万人前後と見られており、それら全員を虐殺しても、30万人には遠く及ばないからです。

 現在、わが国の学者やジャーナリストでは、20万人程度の大虐殺があったと唱える者、3万人程度の小虐殺があったと唱える者、ゲリラ兵の殺害及びゲリラ兵と誤認して100人単位の民間人への虐殺があったが、ゲリラ兵という存在は当時知られておらず、国際戦時法に違反することから、正当防衛と考えられ、虐殺は存在していないとする者、に大別されます。

 いずれにしても、真実は闇の中です。

 河村たかし名古屋市長は、ゲリラ兵に対する正当防衛という立場のようですね。

 ゲリラ兵というのは、軍服を着ておらず、民間人に紛れて突然攻撃を仕掛けてくるもので、歴史上、日中戦争で初めて大々的に登場したとされています。
 後のベトナム戦争で米軍はゲリラ兵に苦しみ、誰が民間人で誰が敵兵か分からず、ソンミ村大虐殺を起こしています。

 現在でも、中東などで子どもや女性が自爆テロを行いますが、あれは究極のゲリラ戦法というべきでしょう。

 大虐殺派・小虐殺派・否定派、いずれにも共通していることがありますね。
 つまり、虐殺の規模やゲリラ兵であったか否かはともかく、軍隊同士の戦闘行動とは別に、日本軍による中国人の殺害が行われたということ。

 その厳粛な事実を思えば、数が多いの少ないの、戦時国際法に違反するのしないのと、論争することは馬鹿げています。

 殺される人にしてみれば、自分1人が生きるか死ぬかが唯一最大の問題なのであって、自分の他に何人殺されようと、関係ないのです。
 殺された1人に思いを致すべきでしょう。

 もちろん、中国政府が30万人という有り得ない水増しした数を主張することは許しがたいことです。
 しかし、彼らは、白髪三千丈のお国柄。
 何事も大げさに水増しすることがお好きです。
 この際言わせておけばよいのです。

 なにしろわが国は敗れ、かの国は戦勝国に名を連ね、正義の名の下に不正義極まりない東京裁判でわが国を侮辱した一員なのですから。

 負ければ悪役になるのは当然のこと。
 わが国の最大の罪は、戦に敗れたことです。
 誠に悔しいかぎりです。

 ↓大虐殺派の本です。

南京の日本軍―南京大虐殺とその背景
藤原 彰
大月書店

 ↓小虐殺派の本です。

南京事件 (岩波新書)
笠原 十九司
岩波書店

 
 ↓ 否定派の本です。

南京の実相―国際連盟は「南京2万人虐殺」すら認めなかった
日本の前途と歴史教育を考える議員の会
日新報道
 ソンミ―ミライ第4地区における虐殺とその波紋 (1970年)
小田 実
草思社

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