浮世は憂き世

文学

  散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき

 
 「伊勢物語」に見られる和歌です。
 桜は命が短いからこそ良いというわけで、それが憂いを帯びながら無常なこの世を象徴しているというわけでしょう。

 昔から、浮世は憂き世と申します。

 学生時代はこの世はパラダイスに見えましたが、それは親の庇護のもと、それこそ浮世離れした学問にはげんで、しかもたっぷりと自由な時間があればこそ。
 ところが就職した途端、この世は長すぎる地獄であることに気付きます。

 自力で生きるというのはそうしたことです。

 今日は非正規雇用の女性ばかり5人の部署から、泣きが入りました。
 彼女たちの直接の上司への愚痴を、一時間以上聞かされました。

 彼女たちの上司というのは、私と同じ職階にあり、年もほぼ同じ男です。
 そやつが困ったちゃんであることは、職場では有名なこと。
 私に愚痴をこぼされても仕方ないのですが、私を信頼して泣きを入れてきた彼女たちの心情を思うと、いてもたってもいられず、私と彼の共通の上司である者を別室に呼び出して、危機的な状況を訴えました。

 すると上司は、うすうすは知っていた、今後事務体制の改善を考え、原案を作った後に正規雇用職員全員を集めて打ち合わせを行う、と言ってくれました。

 それを女性たちに伝えると、歓声が沸きました。
 彼女たちの本当の望みは、私と彼を交替させること。
 しかしそれをやろうとすれば、現在私のラインにいる者たちが不満を洩らすことは必定。

 全く困ったものです。

 人間は同じようでいて、じつは人それぞれ能力も考え方も違います。
 違いを認めることは死活的に重要なことですが、能力差というものはなかなか難しいものです。

 浮世は憂き世だと痛感させられた一日でした。

 

伊勢物語―付現代語訳 (角川ソフィア文庫 (SP5))
石田 穣二
角川学芸出版

 

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