SEKAI NO OWARIというバンドがありますね。
中二病を地で行くような名前です。
縁起でもないと言えばそのとおりです。
しかし、全世界が破滅する、という観念には、どこか人を浮かれさせる作用があるように思います。
滅ぶということ。
誰でしたか、自滅を美とせず、と書いた小説家がいました。
それは自滅を美と感じる人が多いからこそでた言葉。
自滅を美としない人が圧倒的に多かったならば、わざわざ書くこともありますまい。
三島由紀夫は、破滅に向かってまっしぐらに突き進む姿こそ美しい、という意味の言葉を残しました。
私もまた、破滅ということに、どこか浪漫的な美を感じてしまう不届者の一人です。
しかしそれは、観念の遊びに過ぎません。
やったことはともかく、ナチのファッションや深夜の集会などは、美的であったと感じます。
そしてまた、ヒトラーは、我々は世界を焼き尽くす、と、中二病のようなことを言っています。
世界の終わりという観念が人を浮かれさせたとしても、それが現実のものになろうとした時、人々は全力でそれを阻止しようとするでしょう。
多くの国がナチの滑稽とも言うべき野望を打ち砕いたように。
今、中国と米国の間にきな臭い雰囲気が漂っています。
新しい冷戦だと言う人もいます。
米国は太平洋の支配を誰にも渡さない、という強い意志があるようで、それが証拠に、我が国は太平洋に進出したとき、ほとんど難癖のようなハル・ノートを突き付けられます。
どこの国もとても飲めないような内容。
あれは事実上の宣戦布告でしょうねえ。
当時列強の一角を担っていたわが国は、当然、米国と戦うことを選びます。
そして当然、敗れます。
かくて太平洋は米国の海である、という米国の意志は守られます。
今、中国が、当時の大日本帝国のような立ち位置に置かれているように思います。
実際に戦争になある可能性は低いと思っていますが、こればっかりは分かりません。
どうか中国には野望を捨てることを、米国には自重を促したいと思っています。
そうでなければ、単なる観念の遊びであったはずの滅びの美学が現実のものになっていまいます。