父親不在

思想・学問

 最近NHKで今年の大河ドラマ「江」の宣伝をしていますね。
 江は秀吉の命令で三回もほとんど会ったことのない男と結婚させられたとか。
 しかしそれは時代標準であり、ご本人はなんとも思っていないようです。
 秀吉はの父親ではありませんが、父親的役割を引き受け、父親として三回の婚姻を進めたのでしょう。

 かつて、父親は家族の上に君臨する権威者であることを求められました。
 その役割は、社会性や協調性を厳しく子に教え、強さを演じ、優しさを装い、背中で語ることでした。
 
 昔のドラマでちゃぶ台をひっくり返すシーンがでてきますが、あれ、本当にあちこちで見られた光景なんですよねぇ。
 何人か子どもの頃にそういう目に会った友人を知っています。
 私の父はちゃぶ台をひっくり返すことこそしませんでしたが、怒ると鬼の形相でした。

 不登校とかひきこもりが社会問題になるようになって、よく父性の喪失と母性の過剰が原因ではないか、という言説を目にします。
 父親は仕事に追われてほとんど家にいない、母親は過剰な愛情を注ぐ、その間子どもは社会性を身につけることが不可能になり、自らに閉じこもる、というわけです。
 ことはそう単純ではありませんが、父親が子どもの教育を母親にまかせっきりという話は、井戸端会議などで聞かれる愚痴です。
 
 
不登校とかひきこもりというのは非社会的な行為ですが、反社会的ではありません。
 
 したがって、犯罪要件を満たさず、公的機関が介入して解決することはほぼ不可能です。
 もちろん、不登校の親が公的機関に支援を求めれば、公的機関はこれに応じる義務がありますが、家庭内暴力を起こした少年に対するように、警察が逮捕・補導して矯正施設に送り込むことはできません。

 しかも現代社会は、サラリーマンの父親一人の収入では豊かな暮らしをおくることが困難になってしまい、母親も働きに出、子育ては保育園が主たる担い手になりつつあります。
 しかもその保育園が飽和状態。
 
 父親不在というより、家族崩壊。
 家族は夫婦、親子、兄弟という強い血縁で結ばれた強固な共同体であることが不可能になり、いわば同居人。
 同居人同士の間に一体感はなく、対等な関係が結ばれます。

 いわゆる団塊の世代が若者だった頃から顕在化してきたこの問題。
 40年以上たっても、基本の構図は変わらないようです。

 個々の事例にはそれぞれ特有の事情があるから一概には言えないと思いますが、必要なことは、共同体が認める倫理規範の確立ではないでしょうか。
 西洋ならキリスト教、アラブならイスラム教、中国なら共産党一党独裁。
 何か一つ、強力な倫理規範が必要です。
 日本には仏教や神道がありますが、これら既成宗教はこの件に関し、国民の負託に応えていないし、応える能力もないでしょう。
 恥だとか、祖霊信仰だとか、かつて力を持っていた倫理規範も喪失してしまいました。

 
私は、各々の家族が、一種の神話というか物語を紡いでいくという地道な努力しかあるまいと思っています。
 共働きの両親は優しくてお金があってかっこいい、という神話。
 保育園で育つ子どもはたくましいという神話。
 各々の家庭が、それぞれに、実情に合った神話を作りだし、強固な倫理規範を見つけ出す他ないのではないでしょうか。

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