物語作者

文学

 おっさんになると、誰もが夢や希望を失い、日々の生活に追われるようになります。
 私もまた、若い頃抱いていた夢や希望や野望を忘れ、日々の雑事にかまけて時を過ごしています。

 これが年をとるということなんでしょうね。

 私は若い頃、物語作者でありたいと願っていました。

 それは小説でも漫画でも映画でもなんでも構わなかったのですが、1人で、簡単に出来る物語制作は、小説しかあるまいと思い、徒然なるままに、下らぬ駄文を書き連ね、出版社に送ったところ、出版してみましょうということで、わずか2冊の短編集を世に問うことになりました。

 中身がまずかったのか、世間が私に追いついていなかったのか、自信をもって送り出した短編集は、いずれも世間から支持されることはありませんでした。

 それは別に構わないのです。

 私が求めていたのは、私の美学に従った、嘘くさくて美しい、ハリボテの城を作ること。

 私が無念に思うのは、私が切望したハリボテの城を作ることに成功したことが無いことです。

 いかにも嘘くさい物語を紡いできたのは確かですが、それらはいずれも志の低い、小さな物語に過ぎませんでした。

 今さら物語作者として世に出ようとは思いませんが、自分が納得し、うっとりと読み返せるような、嘘八百を作り出したいという欲望は、今も抜きがたく私を苦しめます。

 なんとなれば、私はこの世の真実は物語にしか現れないと確信しているからです。

 様々な方法で、この世の秘密や真理を探る運動がいつの時代にもありました。
 学問であったり、宗教であったり、占いであったり。

 しかし私には、それらの方法に真実が現れることはあり得ないだろうと思っています。
 この世は理屈や理論で解明できるほど単純にできてはいません
 そうであるなら、人間が本能的に持っているこの世ならぬものへの予感、一種の霊感のようなものでしか、この世の真実に迫ることは出来ないでしょう。


 そういう意味では、嘘八百でしかない物語にこそ、人間の真実、この世の在りようが描かれていると思います。

 それはなぜなら、この世には普遍的な真実や価値観は存在せず、ただ物語の中にだけ、一瞬の真実が、立ち現れるに違いないからです。

 日々の雑事にかまけて物語を紡ぐことを忘れてしまった私。
 しかし、いつの日か、再び筆をとって、私が思う真実を示唆するような物語を紡ぎたいと思っています。

 それがたとえ、定年退職後の、老人になってからであっても。

 今はただ、飯の種でしかない仕事に精を出す他、生きる道はありません。
 しかし、これが私の本来的な生き方であるはずがありません。

 飯の種でしかない仕事から解放されたなら、遅まきながら、物語の制作に精を出したいと思っています。

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