猫又、そして仙人

文学

 土曜日。
 今朝は採血をしに内科に行きました。
 近頃は薬のおかげで安定していますが、もともと家族性の高コレステロール。
 主にコレステロールの値を調べるため、4か月に一度、血液検査をしています。

 痛いのは嫌いですが、ぐっとこらえて血液を採ってもらいました。

 採血のため朝食を抜いたので腹が減り、11時過ぎころには昼食に向かいました。
 行きつけだたった我が家の向かいのイタリア料理店、コロナに負けて閉店してしまいましたので、少し離れた、と言っても徒歩10分ほどですが、魚介料理を得意とするイタリア料理店を訪れました。

 食したのは、あさりときのこがたっぷり乗ったペペロンチーノ、それにガーリックトーストとサラダと珈琲が付いて980円という驚愕の安さ。
 以前通っていた店はもっちりしたパスタが自慢でしたが、今日行った店はおそらく乾麺かと思われます。
 麺のクオリティは前の店に負けますが、具が多いのと、やや薄味の上品な感じは、まぁまぁいけます。
 リピートしてしまうかもしれません。

 その後、一時間ほど散歩してから夕飯の買い物。
 塩焼き用の特大さんまと、煮浸し用の油揚げと小松菜、それに定番のフルーツトマトを購入。
 トマトは幼い頃からの大好物で、食卓にのぼらない日はありません。

 これで今夜のつまみはそろいました。
 今週は月曜日から金曜日までの5日間、一滴も酒を口にいていないので、今日は酒が沁みるでしょう。

 最近、年老いて一人暮らしをする義母の食卓が気になります。
 生協の宅配で大量の食材を購入しているようですが、料理をして、後片づけをして、というのが億劫で、なかなか台所に立てないようです。
 心配ですが、義母は同居を嫌がっており、老人ホームに入るのもまだ早いと言っていますので、静かに見守る他方法がありません。

 猫は長生きすると猫又という怪物に変じるとか。

 それならば人間も、長生きして化け物だか仙人だかに変じてもおかしくありません。
 いや、むしろ化け物に近づくほどの長生きというのは、あってもおかしくありません。

 義母はそういった化け物に近づいているのでしょうか。

 元、「明月記」等で猫又は山中に住まう化け物として描かれ、人を襲ったりする怖ろしい生き物でした。

 

 それが「古今著聞集」では、人に飼われる猫も、長生きすると猫又という化け物になると伝えられ、それは大層怖ろしい怪物として描かれます。

 

 長生きした人間は化け物になるわけではありませんが、人によって、老いて仏のようになる人と鬼のようになる人がいると聞きます。
 また、仙人になる、とも。

 義母は少々我儘になったくらいで、まだ仏でも鬼でもありません。
 そしてまた、仙人でもありません。

 私は仙人なる人物に会ったことはないし、ほぼすべての人類が仙人に会ったことなどないでしょう。
 修行して長生きし、不死の肉体と神通力を持つとされる仙人。
 そんなものは存在しないとわかってはいても、年老いたなら、仙人のような存在になりたいと思ってしまいます。

 義母の急速な老いが、私をして猫又だの仙人だのといった、長生きゆえの怪物を想起させたのだろうと思います。
 義母にはまだまだ生きてほしいと願います。
 それによって、例え仙人になろうと、あるいは猫又のごとく凶悪な何者かに変じても構いません。
 義母の老いに、徹底的に付き合っていくつもりです。