亡父の蔵書の中から、英国の人類学者、ジェームズ・フレイザーの大著、「金枝篇」を翻訳した「図説 金枝篇」が出てきました。
亡父の蔵書の森を彷徨うことは、まことに心慰む業です。
本来の「金枝篇」、フレイザーが40年もかけて書き上げた全13巻の大著らしいですが、あまりに大部なために一般に読まれず、それを気に病んだ著者が上下2巻にまとめ、読まれるようになったそうです。
亡父が持っていた講談社学術文庫版は、その要約版を翻訳したもののようです。
ぱらぱらとめくっていると、欧州のみならず広く世界中に王を殺す風習があったとの章が目に留まりました。
もともとギリシア神話に、森の王という者がいて、これは逃亡奴隷なのですが、森の王となりたい逃亡奴隷は今君臨する王を殺害してその座を奪わねばならず、森の王となった者は、折ってはならない金枝を折らなければならない、というお話があり、その神話の謎を解こうと、世界中の神話を調べ、想像力をたくましくして描いた著作だそうです。
世界に普遍的に見られる物語は、王の力は神聖にして強大だが、老いによる衰えは免れず、王の強大な力によって栄えている国家や部族も、王の老衰とともに衰えてしまう、だから王が元気なうちに殺害してもっと若い王に交代させる、という風習をあつかっています。
しかし王座に就く者は、衰えたら殺されると知っていて、即位したのでしょうか。
その謎を解くような一文を見つけました。
死刑を定められた囚人が王の衣を着せられ、王座について何でも好き勝手な命令を発し、飲み食いして自分を楽しませ、王の妻妾と寝ることを許された。
しかし五日の終わりには王の衣を剥ぎ取られ、鞭打たれ、絞殺されるか刺し殺されるのであった。
つまり囚人を身代わりにして自分は生き延びようというわけですね。
英国では、戦場において将校は部下が全員伏せたのを確認して最後に伏さねばならず、しかも立ち上がる時は最初に立ち上がらねばならなかったそうです。
そのため、英国軍では実際に戦場に立つ将校として上位の大尉クラスの戦死率がずば抜けて高く、名門イートン校は多くの将校を輩出したため、第二次大戦を別名イートン校の勝利とも呼んでいるとか。
地位の高い人は重い責任とリスクを負う、ということで、なぜか現場の下っ端がありもしない責任を感じて病気になったり自殺したりして、幹部はわれ関せず、という顔を平気でしていられるわが国とは大違いです。
鳩山・菅と2代続いた民主党総理は、わが国で責任ある地位に就いた人の、ある種の典型というべきで、笑うに笑えず、泣くに泣けない体たらくでした。
わが国でも欧州でも、乱世において、大将は敗れれば首をはねられるのが定め。
それは勝つか負けるかわからぬが、勝つと信じて全力を尽くす原動力にもなっていたでしょう。
しかし老いて国を統治する神聖な力が衰えたから国民から殺されるというのでは、誰も玉座に座ろうとはしないでしょう。
王に景気を左右し天災地変を防ぐ神の力があると思えばこその風習でしょうね。
ではわが国においても、古く、王殺しの風習があったのでしょうか。
フランス革命やロシア革命などでは、実際に王や皇帝が殺されていますね。
リビアのカダフィ大佐やルーマニアのチャウシェスク大統領が殺されたのも、一種の王殺しでしょう。
わが国では、有間身子などの皇族が処刑された例はありますが、暗殺はあったとしても、天皇を堂々と処刑したという例を知りません。
老いて仕事ができなくなれば、譲位して上皇や法皇になればよいだけのこと。
今上陛下も譲位されたらよろしかろうと思っています。
歴史に残らない時代にはあったのかもしれませんが、少なくとも日本神話では、神々は争いを繰り広げていますが、最上位の神=天照大神とその子孫を殺害したという記述は見られません。
フレイザーの王殺しの話は極めて興味深いものですが、わが国にはあてはまらないような気がします。
私にも殺したいほど憎い上司はいますが、実際に殺しはしませんし。
少なくとも上位の者に災いをなしてやりたいという気持ちは、よくわかります。
王とか管理職と書いてバカと読むと思えばよいのかもしれませんねぇ。
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