生命の起源が奈辺に在るか、それは多くの人々にとってまことに興味深い謎でしょう。
神様が7日で創造したということを信じるのは楽ですが、それは石頭とも言うべきで、どうぞご随意にと言う他ありません。
はるか昔、地球上の物質が様々な化学変化を繰り返し、海の中で原始生物が生まれたと、私は思いこんできました。
しかし、原始の地球上には生命が誕生するために必要な物質が欠けており、地球外から隕石などに付着して生命誕生に必要な物質が運ばれ、地球に生命が誕生したするパンスペルミア仮説を唱える学者が何百年も前から存在していました。
![]() | 生命の起源を宇宙に求めて―パンスペルミアの方舟 (DOJIN選書36) |
長沼毅 | |
化学同人 |
この仮説は長い間顧みられることはありませんでしたが、近年、この仮説が正しいのではないか、とする論文が立て続けに2本発表されたそうです。
生命誕生には、ホウ素と高度に酸化されたモリブデンという2つの物質が不可欠だそうですが、原始地球にはその存在が確認できず、長い間謎とされてきたそうです。
ところが最近、火星の無人探査機から送られてきた火星の物質から、この2つの物質が豊富に検出されたとのことで、火星からの隕石がこの物質を運んできたことによって地球上に生命が誕生したのではないか、という論文が発表され、にわかにこのロマンティックな仮説が注目を浴びているようです。
また、別の論文で、生命誕生に不可欠なリン塩酸という物質について、原始地球に豊富に存在していたが、固形の状態で、水に溶け難い性質を持っているのに対し、火星から発見されたリン塩酸は水に溶けやすく、原始地球の状態を再現した生命誕生の実験では、上記2つの物質と合わせ、火星からの物質では生命誕生の萌芽が見られるのに対し、原始地球由来の物質だけでは、生命が誕生できるとは考え難い、との結論を得たそうです。
また、火星にはかつて水が存在したと考えられる痕跡が続々と発見されているとか。
もちろん、それを持って火星に生命体が存在したとまでは言えません。
しかし、種々の実験や発見から、地球の生命体の起源は火星にあるのではないか、という仮説は、説得力を持つようになったことは確かだと言って良いでしょう。
ただし、私が思うのは、もっと根源的な疑問。
地球の科学者が生命誕生に不可欠だと考える物質は、本当に不可欠なんでしょうか?
人間の浅知恵で、どうしてそんなことが言えるんでしょうか?
私は生命というものを、もっと広い意味で捉えています。
植物はもちろん、鉱物も一種の生命体であろうと思います。
さらに言えば、宇宙に存在する物すべてが、一種の生命体なのでは?
わが国の大乗仏教が辿り着いた地平に、山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)、という考え方があります。
人間や動物のみならず、草も木も、山も川も世界を構成するあらゆる物に仏性があり、この世は仏性の現れである、とする考え方です。
親鸞上人は「唯信鈔文意」のなかで、「仏性すなはち如来なり。この如来微塵世界にみちみちてまします。すなはち、一切群生海のこころにみちたまえるなり。草木国土ことごとくみな成仏すと説けり」と述べています。
![]() | 唯信鈔文意 (現代語版) |
浄土真宗教学研究所浄土真宗聖典編纂委員会 | |
本願寺出版社 |
このように、仏典からは逸脱しているとさえ言える、全ての物は、動物であれ植物であれ無機物であれ、仏性を有し、成仏できると考えるのは、わが国では一般的であり、しかもこの国に生まれ育った人々は、仏教を知らずとも、なんとなく、感覚的にその思想を理解することができます。
日本人の心性に合っているのでしょうね。
そのような思想をバック・ボーンに持つこの国で生まれ育った私にとって、火星もまた、山川草木の一つ。
山川草木とは、宇宙そのものを表す言葉だと思います。
そう考えると、生命の起源を追究すること自体が、仏性から程遠い、無意味なことに思えて仕方ありません。
人間にはどうしても分からないことが、あまりにも多いのですから。