生誕祭

思想・学問

 今日は私の誕生日。
 しかし、その実態はいつもの憂鬱な月曜日に過ぎません。
 しかも雨まで降りおって。

 誕生日を祝う風習はもともとわが国には無かったもので、人は新年を迎えると等しく一つ年を取りました。
 それが明治35年、年齢計算ニ関スル法律が施行され、少しずつ数え年から満年齢を標準とするようになりました。

 また、イスラム圏では、誕生日を特別視しておらず、多くの人が自分の誕生日を知らず、パスポートの生年月日欄は空欄の人が多いと聞きました。
 誕生年もわからない人が多く、正確な年齢など意識していないようです。

 所変われば、ですねぇ。

 キリスト教圏は逆に誕生日にこだわりますね。
 キリストの誕生日がクリスマスだとするのはおそらく本当ではないだろうことは周知の事実ですが、その日と決めれば、実際と違ってもどうということはありません。

 西暦にしてもイスラム暦にしても皇紀にしても、明白な根拠のある正しい暦など存在しません。
 要するにそう決めて、多くの人がそれを使えば正しい暦ということになりましょう。

 平成とか昭和とか短く区切った近代の元号は、根拠も明白で確からしさが担保されているのでしょうが、人の死をもって暦が改まるというのは、時代感覚を喪失もしくは変に意識させて、私は止したほうがよいと考えています。

 今日で42歳。

 人生80年とすると、ようやく折り返した辺りですが、信長が好んだ幸若舞、「敦盛」の、人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり、という節を思えば、私ももう老人ということになりましょうか。

 本来の意味は、下天(六欲界の最下位の世界)の一日は人間界の五十年にあたり、それに比べれば人間の世界なんて夢のようなものだ、という意味ですが、多くの人は、人間の寿命を50年と見立てているものと誤解していますね。

 しかし私は、その誤解はそのままで良いと思います。
 それもまた、真実を突いているような気がするからです。

 現に谷崎潤一郎は、48歳の頃雑誌で谷崎翁と書かれています。
 48歳で翁はないんじゃないの?と思いますが、アフリカの最貧国、シエラレオネの平均寿命は40歳くらいだと言いますから、それもやむを得ないでしょう。

 今までもそう心がけてきましたが、変に若者文化に媚びたりせず、堂々と、中年おやじらしく年相応に老けて、貫禄をつけたいものだと思います。

観世流二十五世宗家観世元正監修 観世流謡曲名曲撰(6)敦盛/賀茂
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幸若舞 3 (東洋文庫 426)
荒木 繁
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