生贄

文学

 吉村昭に、「三陸海岸大津波」という著書があります。

 そこに明治29年の大津波の話が出てきます。

 被災者が顔を合わせると、「あなたの家族はどうでしたか」という質問が出て、「二人亡くなりました」と答えると、「それは良かった、おめでとう」という信じがたいやりとりが交わされたというのです。
 私はこれを、大家族のうち、犠牲者が2人だけで済んで良かった、という意味なのかと思ったら、必ずしもそうではないことが語られていました。

 すなわち、漁をして海からの恵みで生活をしていた人々にとって、何十年かに一度襲われる大津波は、それによって犠牲者が出ることで、海への返礼の意味があった、というのです。
 分かりやすい言葉で言えば、消極的な生贄ですね。

 これは現代人から見るとたいへん不謹慎な考えですが、1000年以上前から定期的にやってくる大津波にそういう意味を見出していたことは、たいへん興味深いことです。

 また、かつてお祭りの際に神主を生贄に捧げる風習が日本各地にあって、生贄は籤や神託で一年前に選ばれ、その印に片目を潰されたと言いますから残酷な話です。

 古来、洋の東西を問わず、自然の猛威を鎮めるため、また、自然の恵みに感謝の誠を捧げるため、多くの人が生贄となってきました。

 これは厳然たる事実です。

 現代人の目から見てこれらの風習を野蛮だと言うのは簡単ですが、自然科学や気象に関する知識がほとんど無かった時代の人々にとっては、当たり前の祈りにも似た行為だったのでしょう。

 また、三陸で大津波が起きるたび、行政などが主導して高台に集団移転する話が持ち上がるそうですが、その都度、地元住民の先祖伝来の土地を離れることはできない、という反発にあって、移転計画は頓挫してきたと言います。

 このたびの東日本大震災では、高台への移転を望む人が多いようですが、それでも、元の土地を離れたくない、という住民も少なくありません。

 生贄と言い、危険な土地への愛着と言い、人間にはどこか魔術的思考に陥る癖があって、それが良い意味では文化をはぐくみ、悪い意味では争いの種にもなってきたのでしょう。

 私たち現代人もまた、簡単なきっかけで魔術的思考の罠に陥る可能性があることを肝に銘じなければなりません。

三陸海岸大津波 (文春文庫)
吉村 昭
文藝春秋


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