少年に対して、「男は男らしく」という躾は、よくなされるところです。
男らしい、とはいかなることでしょうか?
よく気は優しくて力持ち、と言います。
全般的に、スポーツ選手や軍人・警官などがイメージされているように思います。
近頃流行りの草食系とかお弁当男子とかいうのは、古典的な男らしさから遠ざかっているように思います。
石器時代、狩猟をする男と子育てをする女というふうに分業がなされ、男は男らしさ、を獲得していったのだ、という社会学者がいます。
まことにもっともらしい論です。
しかし男は、生まれつき男らしいわけではありません。
社会規範として、男らしくあることを少年に求めるから、少年は誉められたくて男らしく振る舞う、というのが最初でしょう。
活発で、運動ができ、勉強もでき、将来は軍人になって帝國にご奉公する、というのは戦前のわが国において求められた少年の理想像でした。
そのような少年像を追い求めたのが、大正初期創刊の「少年倶楽部」でした。
そしてそれとは反対に、明治末期創刊の、感傷的な文学少年向けの「日本少年」が芸術を愛したり人生に悩んだりする少年を描きました。
少年が多様な生き物であることは、自明の理です。
それをどの少年にたいしても、男らしくあれ、と強要するのは、不可能を可能にする徒労とも言うべきでしょう。
そして、女々しい、とか、それでも日本男児か、とか責められることを恐れ、国を挙げて男は男らしく、という幻想を国民に植え付けて、先の大戦は泥沼化していった、という側面は否めないと考えます。
フェミニズムを標榜する学者が言う、ジェンダー・フリーは極端ですが、男らしくないことがいじめの対象になるようでは困ります。
ジェンダーの問題はこれまで多く女性の社会的性差の面から提起されてきましたが、これからは男性の社会的性差を研究するジェンダー研究が活発になるといいな、と思います。
下の本を読んだ感想がこの記事です。
↓
![]() | 大日本帝国の「少年」と「男性性」―少年少女雑誌に見る「ウィークネス・フォビア」― |
内田 雅克 | |
明石書店 |