先ごろフランスで、公的には未婚女性への敬称であるマドモアゼルを使用してはならないことになったそうですね。
女性への敬称はすべてマダムに統一するとか。
要するに女性だけ結婚しているかどうかで敬称を変えるのは男女差別だというわけでしょう。
さん、とか、様など、男女、既婚未婚関係のない敬称を持つわが国から見ると、非常に奇妙な感じがします。
わが国でいえば、奥様か、お嬢様か、どちらかしか存在しないようなものですから。
私はフランス語の知識を持ちませんが、聞くところによると、椅子だとかテーブルだとか、無機物にまですべて男性名詞か女性名詞に分けられるそうですね。
果たして机は男なんでしょうか、女なんでしょうか。
もともと極めてセクシャルな言語なんでしょうね。
わが国でも、看護婦と看護士は看護師に統一され、女医とかいう言い方も一部ポルノ作品くらいでしかお目にかかれなくなりました。
むしろ男女差別意識にはうるさいと思われる作家なんかが、女流作家という言い方に文句をつけないのは不思議です。
今の自由民主主義社会で最も過激な男女差別をくり広げているのは、逆説的ですが、フェミニストやジェンダー研究者など、女権拡大論者でしょうねぇ。
もともと相補い合うはずの男女を、ことさら対立的にとらえ、これを攻撃することで飯を食っているわけですから、過激の度合いは年々エスカレートする道理です。
現在の会社や役所などが、今なお男社会なのは事実ですが、もともと日本社会は男女差別的ではありませんでした。
圧倒的多数の庶民はお百姓さんで、男も女も農作業に従事し、家事や育児は農作業の合間をぬって子どもや老人が担うなど、まさに男女共同参画社会だったと思われます。
奥様業ができるのは、貴族や武士、豪商くらいで、ほんのわずかだったことでしょう。
それが戦後、高度経済成長を目指すに当って、時の政府は男を社畜に仕立て上げ、女を子を産み育てる道具にすべく、専業主婦が税などの面で優遇されるような仕組みを作り上げ、いわば国家意思として、男は外で働き、女は家庭で家事育児にあたる家をモデル・ケースにしたと言えるでしょう。
しかしもともと、女性は貴重な労働力だったわけで、これを奥様なんかにしておくのはもったいないかぎりです。
ドイツのメルケル、英国のサッチャー、わが国では遠山敦子元文部科学大臣や、緒方貞子元国連難民高等弁務官など、結婚、出産しながらも、仕事での成功を手に入れている女性が少しずつ登場してきています。
きっとそういう女性たちは、マドモアゼルは駄目でマダムにしなさい、などと瑣末なことを言いたてるフェミニストなんかとは対極にいるものと思われます。
言葉狩りのような馬鹿馬鹿しいことは止めて、目の前の仕事に精を出したらどうでしょうね。
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