わたしはいくさのあいだ、国外脱出がむつかしいので、しばらく国産品でまかなって、江戸に留学することにした。
上記は、戦後、石川淳が戦中の過ごし方を語ったものです。
優雅な話ですね。
軍靴が響き、焼夷弾が降る帝都で、江戸に留学していたとは。
そこで石川淳は、江戸狂歌のなかに、生活と文学とを一本に通して俗中に於けるこの虚構の世界よりほかに幸福をまかなふ道は無いといふ存外強烈なる人生観、を見出します。
一方同様に戦争中江戸文学に耽溺していた永井荷風は、怠惰な眠りを許してくれる退行的な揺りかご、として、言わば江戸に疎開していたように見えます。
ここに、永井荷風死後、死者を悼むものとは思えない、激烈に荷風山人を批判する「敗荷落日」が石川淳によって書かれなければならなかった、両者のスタンスの違いが見られます。
私は石川淳を深く尊敬し、永井荷風を敬愛するものですが、石川淳はあまりに厳しいように思います。
芸術家とはこうあらねばならない、という理想が強すぎて、くたびれちゃいます。
作品は奇想天外で面白いのに、その余で余計な理屈をこねて、読者を白けさせますね。
世界像との関係に於いて、地上に於ける人間の運動を仮説的に追求するための唯一必至の方法。
これが、石川淳が考える小説の本質です。
石川淳の小説は、悪を極めて聖に至る運動とか、戦前の共産党の非合法活動とか、隠れキリシタンの暗躍とか、実際に人間の運動を描いてスリリングなものが目立ちます。
一方永井荷風は浪漫的ですね。
どちらもそれぞれに良いですが、私は怠惰な眠りを許してくれる退行的な揺りかごのほうが性に合っているように思います。
![]() | 安吾のいる風景・敗荷落日 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ) |
石川 淳 | |
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加藤 弘一 | |
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