異教の祭り

思想・学問

 買い物のため車で移動中、FM放送を聞いていたら、早くもクリスマスの話題ばかりでした。

 クリスマスのお祝いは、元来、キリスト教徒がイエスの降誕を祝うもので、必ずしもイエスの誕生日ではないんだとか。
 敬虔なキリスト教徒はクリスマス・イブを静かにお祈りをして過ごすそうですね。

 わが国では大正時代頃から取り入れられたようですが、爆発的に広まったのは、敗戦後、戦勝国の真似をしたからかと思います。

 私が子どもの頃は、サラリーマンのおじさんが大挙して大酒をかっ喰らう日でした。

 その後バブル前後には、なぜか恋人と豪華なデートをする日とされ、クリスマス・イブにデートをしない若い男女は人にあらず、という悪習まで生まれ、中には相手もいないのに1年も前からクリスマス・イブの晩に豪華レストランやホテルを予約する強者まで現われました。

 当時大学生だった私はそのような世間の風潮を冷笑し、絶対に独りで過ごすと決めていました。
 デートはもちろん、男同士で飲みに行くことも自らに厳しく禁じましたね。
 まぁ、天邪鬼だったのでしょうねぇ。
 今でもそうですが。

 バブルが崩壊し、長い不況の時代を迎えると、クリスマスだからと言って特別なことはせず、せいぜい家族でケーキを食うくらいの、大人しめの日に変貌を遂げました。

 わが国ではクリスマスは祝祭日ではありませんし、単なる平日なので、基本的には仕事に行って帰ってきて、風呂、酒、寝る、という平凡な日常を繰り返すしかありません。
 曜日の並びによっては土日に重なることもありますが、それはまれなこと。

 キリスト教圏ではクリスマス前後は10日以上もの長い休暇となりますから、それは特別な日だと思いますが、わが国でそれにあたるのは正月休みでしょうねぇ。

 異教の祭りに熱狂し、しかも全く本来の主旨と異なった祝い方をするというのは、考えてみれば奇妙奇天烈なことですが、わが国には八百万もの神々が住み給うているわけですから、ちょっと毛色の変わった神様が1柱くらい紛れ込んだってどうってことない、ということなんでしょうね。

 奇妙ではありますが、もしかしたらわが国の宗教に対する寛容さというか節操の無さは、世界平和に大きく貢献するかもしれませんね。
 わが国のような態度をあらゆる国々、宗教が採用すれば、少なくとも宗教を原因とする紛争は無くなるでしょう。

 それなら我々は堂々と、節操の無い宗教観と、それに伴う寛容さを世界に喧伝する義務があるのかもしれません。

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