異端

思想・学問

 異端、といえば、カソリックに反対する意見を持つ人々、という印象を持ちます。
 ときにそれらはカソリックに入り込んで、高い地位を得て、その地位を利用しつつ異端の教えを広めようとするイメージがあります。多くの小説や映画に描かれたからでしょうか。

 映画では、「薔薇の名前」、文学では「カラマーゾフの兄弟」の「異端審問官」が有名ですね。

 異端というと、悪魔崇拝とか魔女裁判を思い浮かべますが、単なる教義上の問題であることが多かったようです。

 異端の中心的教義にグノーシス派がありますね。

 現実世界を悪ととらえ、現実を構成する物質・肉体はすべて悪ととらえます。その結果、悪を働いてはならない、とする禁欲主義と、肉体はそもそも悪なので、霊が善であれば肉体は何をしてもよい、とする放縦派に分かれます。小説なんかに出て来る異端の破戒僧は後者ですね。
 グノーシスは、現世を神の失敗作とみます。
 そしてこの世を創造した神は絶対神ではなく、その上に至高神を設定します。至高神が創造神にこの世を造らせ、失敗した、というわけです。キリスト教グノーシス派は、創造神を堕落した天使ととらえます。
 この世は悪に満ち、救いは得られず、物質を持たない至高神を崇拝することが求められます。

 ちょっとかじっただけでも、カソリックから弾圧されそうだな、という気がします。そして実際、ひどい迫害を受けました。

 それにしても、この世が悪だなんて、「 I am God’s child. この腐敗した世界に堕とされたあぁぁ」と歌った鬼束ちひろの「月光」じゃあるまいし、生きていくのがいやになるような考えですね。

 その点、わが仏教も、神道も、なんでもありで、気楽ですね。
 この国に生まれて、本当に良かった、と思います。

 そう思うこと自体、わが国の伝統文化に影響されて育ったせいでしょうか。

グノーシスの薔薇
David Madsen,大久保 譲
角川書店

 

グノーシス (講談社選書メチエ)
筒井 賢治
講談社