疲れと慣れ

社会・政治

 東京等の都市部に、またもや緊急事態宣言が発出されました。
 最初の時は職場も大騒ぎで、仕事は全部自宅で、リモートワークでやれというお達しが出て、原則出勤を禁じられました。

 しかし2回目の時も今回も、またか、という程度の認識で、出勤禁止というお触れもでていません。
 普通に出勤して普通に働いて良い、ということのようです。

 コロナ疲れというべきか、あるいはコロナ慣れというべきか。

 ワクチンが出たということですが、コロナ終息にどれだけの効果を発揮するのやら。
 私は懐疑的に見ています。

 飲食店や観光業などは商売あがったりでしょうけれど、一方、アクリル板の会社などは大儲けしているんではないでしょうか。
 実態は知りませんが。

 私が生きるお役所の世界は、コロナにより左前になるということはまずありません。
 そこらへんのぬるさが、よろしくないことでしょうね。

  もっとも、コロナ対策を行う省庁に出向でもしていたら、これは大変なことになったでしょう。

 今の私にできることは、マスク着用を守り、手指の消毒をし、あとはひたすら眺める人になるだけです。

 この世界がどう変わるのか、変わらないのか、それを観察したいと思います。
 でも変わらないということはないでしょうね。

 オンラインの会議やイベントが当たり前の世界になってしまった以上、無理やり対面で、ということにはならないでしょう。

 急激に普及したオンライン会議のシステム。
 ZOOMだとかWEBexだとか。
 これらは非常に便利で、会議のために出社するとか出張するとかいうことがなくなりました。
 しかし慣れない者には、操作が難しく、ストレスであることも事実。
 どうにかこうにか付いて行っているつもりですが、これ以上難しいシステムが標準になったら、もうダメなような気がします。

 3月末に58歳で早期退職した職場の先輩、彼も新しい技術の導入には苦しめられているようでした。
 先輩の家は土地持ちだかなんだか知りませんが、完全引退して一切働くつもりはない、と言い切っていました。

 完全引退して食っていけるのなら、私も明日には退職しているでしょう。

 労働という苦役をせざるを得ないのは、日々の糧を手に入れるため。
 なかには自己実現だとか、仕事が好きとか、社会とのつながりのため、なんていうことを言う人がいますが、それは二番目か三番目の理由に過ぎない筈。
 金を貰えて、ついでに自己実現なんてほざいているだけです。
 でなければ、ボランティアでもすればよいのです。 

 今も厳しいコロナ禍の最中にいるのは自明のことです。
 しかし、私たちはコロナに慣れ、飽きてしまいました。

 この人間の態度というか心境こそが、真に怖ろしいと言えるような気がします。