目を潰す

文学

 今日は6時半に起きて朝湯に浸かりました。
 休日の贅沢です。
 朝飯はハムエッグと味噌汁、それに白飯。
 ゆっくりと時間をかけて食いました。

 9時から視野検査の予約をしていたので、眼科へ。
 晴れたせいか、雪はほとんど溶けていました。

 じつは視野検査、大の苦手です。
 光が見えたらボタンを押すという単純なものですが、光が弱々しいので、目の錯覚なのか、実際に光っているのかよく分かりません。
 それでも、見えたと思ったら押すようにします。

 検査結果はすぐに出て、とりあえず緑内障は進行していなかったということで、安堵しました。
 2月24日に、この検査結果を持って、千葉大学医学部附属病院に行かなければなりません。
 面倒くさいことです。
 クリニックにも行き、大学病院にも行かなければならないとは。

 目が見えなくなるのは、非常に怖ろしいことです。
 人間、目から得る情報がもっとも多いですから。
 それに、映画を観たり、本を読んだり、美術作品を鑑賞したりといった、私の趣味はことごとく出来なくなってしまいます。

 谷崎潤一郎の作品に、「春琴抄」という佳品があります。
 病気がもとで9歳にして失明してしまった美しい春琴。
 彼女は三味線弾きとして生計を立てるわけですが、春琴の身の回りの世話をする佐助という少年に、我儘放題。
 しかし佐助は、そのことに強い喜びを感じます。
 佐助は三味線を習うため、春琴に弟子入りしますが、春琴の稽古は苛烈を極めるものでした。

 やがて春琴は顔に大やけどをおいます。
 包帯が外れる際、醜い顔を誰にもさらしたくないという春琴。
 佐助はその言葉から、自ら目を潰し、盲目となって春琴に仕え続けるのです

 谷崎潤一郎らしい、マゾヒズムを描いた作品です。

 崇拝する女性のために自ら目を潰すというのはどういう心境でしょうね。

 緑内障で少しづつ視野が欠損していく私には、どうしても理解できない心境です。
 自ら盲人になるなんて。

 しかし矛盾するようですが、佐助が羨ましいような気もします。
 そこまである女性を崇拝することができるのですから。

 もちろん、私はどんな理由があれ、自ら盲人になるなんてことは絶対にしません。
 私はマゾヒストではないし、崇拝する女性もいません。

 ただ、この残酷な物語には、嗜虐の喜びを純粋に求める佐助の姿に、美を見出すことができます。
 私がもし視力をほとんど失った時こそ、春琴のような女性を求めるのかもしれません。