ようやっと、稀勢の里が横綱に昇進しましたね。
遅咲きと言われますが、三役までは超スピード出世でした。
大関になるときと、今回、横綱に昇進する際に苦労しました。
日本出身横綱の誕生は19年ぶりとかで、ずいぶんモンゴル勢に押されていました。
相撲の起源は古く、日本神話に遡ります。
天照大神が出雲に使者を送り、大国主命に国譲りを迫った際、大国主命は二人の息子が応じるというなら国譲りに同意する、と応えます。
二人の息子のうち、一人はすぐに応じますが、一人が力比べをしようと言って、使者と相撲を取り、使者が勝ったため、大国主命は巨大な宮殿を建設することを条件にして天照大神にこの国を譲ったわけです。
この宮殿こそが、出雲大社とする説があります。
で、その子孫が天皇というわけで、平たく言えば、高天原に住んでいた神々が、この国を分捕ってしまったということです。
しかも、その後、初代天皇である神武天皇は東征の名のもとに侵略を重ね、ついに本州は天照大神の子孫が支配することになったわけです。
「古事記」や「日本書紀」では、東征は露骨な侵略戦争として描かれますが、大国主命の息子と天照大神の使者は、単に相撲をとっただけということになっています。
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しかし私は、相撲というのは、大戦争を表す隠喩的な表現なのだろうなと思っています。
大戦争に敗れたわけでもないのに、簡単に国を譲るわけもありますまい。
嘘か真か、長い間、出雲大社には縄が打たれていた、という説があります。
天照大神に逆らったけしからぬやつ、ということでしょう。
おそらく天孫系と呼ばれる人々と、土着の人々は、民族が異なっていたのでしょうね。
やがて土着の人々は、蝦夷だとか熊襲だとか、はたまた土蜘蛛だとか言われて差別され、時には成敗の対象とされてしまいます。
今、わが国に住まいする人々の大半は、侵略者たる天照大神の系譜に連なる者たちであろうと思います。
勝者は敗者を駆逐するものですから。
わが国はもともと天皇家が支配する国ではなく、天皇家は侵略者の親分だったと考えると、神話時代の大戦は、今に至るもわが国の形を縛っているわけで、因果応報と言おうか、何事も原因があって結果があるのだなと、痛感させられます。
そして輝かしい勝利を収めた者たちは、力比べ=相撲を国技と認定するに至りました。
後に相撲は神道の神々に捧げる神事ということになり、わが国の伝統文化と解されるようになりました。
単なる格闘技やスポーツではなく、品格や威厳が求められる所以のものです。
それはそうでしょう。
天照大神こそが神道の最高神であり、この神様の大勝利を祝って神事を執り行うというのは自然な流れでしょうから。
そんな昔のことは関係なく、迫力満点の大相撲を私たちは楽しんでいますし、楽しめばよかろうと思いますが、ふと、相撲の起源となった神話を思い出して、慄然とさせられたところです。
稀勢の里関には、これら相撲の歴史を汚さぬ大横綱になってほしいものです。