あらゆる古典は、人類にとって金や銀です。歴史という風雪にさらされながら、生き残ってきたのです。それに触れずしては、この世に生まれた意味は半減します。
一方、歴史の風雪に耐えられなかった芸術作品も多くあります。
それらを、倉橋由美子は、「砂粒のような作品」と呼びました。
しかし、多くの砂粒があったればこそ、金や銀の貴重さがわかるのだ、とも。
今、生み出されている芸術作品が遠い未来において、金や銀になりうるかどうかは、神のみぞ知るところです。
しかし、砂粒も悪くはありません。それが金や銀を輝かせるのであれば。
ことは、芸術に限ってはいません。
人生全般においてそうです。
私の人生が、精神的病に冒され、無価値なものであったとしても、堂々と、私は砂粒だ、と言えれば、良いでしょう。例え自殺しようと、それは砂粒にとって精一杯だったということです。