神無月

文学

   今日から10月。
 10月といえば神無月。

 この月には日本国中の神々が出雲に出張するので神無月と呼ぶ、という俗説がまかり通っています。
 本当のところ、なぜそう呼ぶかは諸説あって、定かではありません。

 ちなみに出雲では神在月と呼ぶそうです。

 しぐれつつ 留守守る神の 銀杏かな

 高浜虚子の句です。

虚子五句集 (上) (岩波文庫)
高浜 虚子
岩波書店

 

虚子五句集 (下) (岩波文庫)
高浜 虚子
岩波書店

 時雨という言葉が秋の寂しさを感じさせつつ、神社の大銀杏でしょうか、その大木のたたずまいが荘厳なイメージを喚起させる、スケールの大きな句に仕上がっていますね。

 秋思という言葉があります。
 秋に感じる寂しい物思いを指しており、春愁と対で用いられます。
 春愁がどちらかというとメランコリックな愁いといった感覚的な語感なのに対し、秋思はもう少し詩的な感じを覚えます。

 山塊に ゆく雲しろむ 秋思かな

 飯田蛇笏の句です。

新編飯田蛇笏全句集
飯田 蛇笏,飯田蛇笏生誕百年記念実行委員会
角川書店

 これはとてもきれいにまとまった句ですね。
 それが良くもあり、つまらなくもあり。
 いずれにしろ秋思を詠んで見事です。

 この季節になると、酒の味が一味上がるようで、夜ごとの晩酌が楽しみです。

 今、私が住まう首都圏の神々がことごとく留守なのだとしたら、留守を守る銀杏は頼もしくもあります。
   しかし残念ながら私はJRの駅近くに住まいしており、留守を守る大木とてありません。

 いっそ私が酒の勢いを借りて、酔眼の留守居役を務めるといたしますか。

 ただし、守れるのはおのれ独りのみです。

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