神鳴の

文学

  朝から大気の状態が不安定なようで、雨が降ったりやんだり。
 さっきからは雷が鳴っています。
 夏らしいといえば夏らしい天気です。

 神鳴の わづかに鳴れば 唐茄子の 臍とられじ と葉隠れて居り

 正岡子規の和歌です。
 雷を神鳴と表現しています。
 唐茄子とは、かぼちゃのこと。

 雷がわずかに鳴っただけで、庭のかぼちゃがへそをとられまいと葉に隠れた、というユーモラスな和歌です。 
 「竹乃里歌」という歌集に見られますが、上の歌の後に、

  神鳴の 鳴らす八鼓(やつづみ)ことごとく 敲き(たたき)やぶりて 雨晴れにけり

 という和歌が見られます。 
 こちらは解釈の必要はありますまい。
 字義どおり、力強くて神話的な趣を感じさせます。

子規歌集 (岩波文庫)
土屋 文明
岩波書店

 

竹乃里歌―正岡子規全歌集
土屋 文明,五味 保義
岩波書店

 病床にあっても、正岡子規は季節の移ろいを感じつつ、時にユーモラスに、時に力強く季節を切り取ってみせました。
 その執念はどこから来たのでしょうね。

 季節感を何より大切にするわが国の詩歌の世界は、地球温暖化や異常気象、また冷暖房の普及によって、もはやこの世のものでは無いような感すら覚えます。
 これを時代の進化、あるいは変化として歓迎すべきなのか、あるいは失われた世界にノスタルジーを覚えるべきなのか、私には分かりません。

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