神(かむ)ながら

思想・学問

 ニュースは民主党代表選挙のことばかりですね。 
 代表選を戦うお二人が、心底国を憂えていることは確かなんでしょうが、なんとなくサル山のボス争いに見えてしまうことは民主党にとって不幸なことです。

 国を憂えるといえば、そのものずばり、「憂国」という小説がありました。 
 三島由紀夫の作品です。 
 国のためにテロを決行した仲間である青年将校を討つよう命じられた軍人が、それを潔しとせず、妻との濃厚な濡れ場の後に切腹する話で、じつはほとんど国を憂える情は描かれていません。
 むしろ下手な官能小説よりもエロ度は上でしょう。18禁にしたほうがよいかもしれません。

 一方、「英霊の聲」という作品があります。
 こちらは特攻で亡くなった飛行機乗りをはじめとして、2.26事件の青年将校など、三島由紀夫が英霊と考える荒魂を神主が依代となって招き、昭和陛下へのうらみつらみを並べたてる、という話です。 
 文学作品としてはほとんど破綻していますが、それこそ英霊が乗り移ったかのごとき三島由紀夫の筆の冴えは、気味が悪いほどです。 
 「などてすめろぎは人となり給いし、などてすめろぎは人となり給いし」と英霊たちが怨嗟の声を上げながら、神あがりしていきます。 

 私はこれを、人間宣言した天皇陛下を、政治的な意味合いで叱っているのではないと思います。
 おそらく、日本文化の源泉であるべき、神ながらの存在である天皇が、日本文化の破壊を行ったことに対する抗議だったのではないかと思います。 
 もちろんそれは、三島由紀夫の美学に拠るもので、天皇一族という人間たちが神であるはずはありません。 
 しかし記紀万葉の時代から、日本人は天皇を神ながらの存在として崇め、それが様々な日本文化を生んだことは確かです。
 これまで日本国中で続けてきた神ながらの道という狂言を、今後も続けていきたいから、陛下、人間宣言はないんじゃないの、という意味でしょう。 

 私は敗戦のときに天皇を国家元首から象徴にする、という選択は間違っていたと思います。 
 天皇制そのものを廃止すべきでした。 
 華族を廃止して外堀を埋められ、人間になってしまった天皇に、用はありません。
 人間である天皇には、国民の共同幻想を支える能力はありません。 

 三島由紀夫は悲劇的な結末を迎えます。
 武力で劣っていただけのはずだった日本が、敗戦とともに魂まで劣ってしまったと信じ、かつての美しい日本へ殉死しようとしたのではないでしょうか

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英霊の聲 オリジナル版 (河出文庫)
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