秋思

文学

 今日も見事な秋晴れでした。
 しかし私の心はどこか曇りがち。
 三連休の最後だからでしょうか。

 曇りがちの心を奮い立たせようとして、午後、近所を散歩しました。
 昼までは風がなかったのに、午後になると冷たい風が吹き始めました。

 つめたきは 風にありけり わがこころ 白布のごとく 吹かれたるかな   

 風を頬に受けて歩いていると、若山牧水のこんな歌が知らず知らずのうちに心に浮かびました。
 私の心もまた、冷たい風に吹き飛ばされそうな気分になりました。

 また、同じ歌人の、

 骨と肉(み)の すきをぬすみて 浸みもいる この秋の風 しじに吹くかな

 という歌が続いて口をついて出ました。

 白楽天「陵園妾」でしたか、春愁秋思 という詩句があったように記憶しています。
 
 辞書には、 

 春の日にふと感じる物悲しさと、秋にふと感じる寂しい思い。よい気候のときに、なんとなく気がふさぐこと。また、いつも心のどこかに悲しみや悩みがあること。 

 と、ありました。

 人間にとって過ごしやすいはずの春や秋に、物悲しさや寂しい思いを強くするのはなぜでしょうね。

 私は子どもの頃から、春愁は強く感じ、秋思はあまり感じませんでした。
 それはおそらく、わが国の伝統文化が春をより儚いものとし、秋はむしろ楽しい季節のように描いてきたからなんでしょうね。
 また、春に年度が替わることも理由の一つでしょう。

 それと、来週木曜日にひかえる亡父の本葬。
 ついに墓に入ってしまうのかと思うと、寂しい思いを消すことはできません。

 しかし明日から仕事が始まれば、そんな悠長なことは感じていられなくなります。
 目の前の仕事を片付けていかなければなりませんから。
 そんな風に雑事にかまけておのれの心を誤魔化すのは幸せなことなんでしょうか。

 私にはそうは思えません。
 つまらぬ雑事などうっちゃって、ひたすら自らの魂の動きを観察し、その声に従って生きられたなら、どんなに良いでしょうね。
 でもそれは労働を免除される年齢に達するまでは許されそうにありません。

 真にこの世は生きずらいものです。

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白楽天詩選(下) (岩波文庫)
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若山牧水歌集 (岩波文庫)
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