文学

 今日は中秋の名月。
 あいにく千葉市の空は曇り模様。
 お月見というわけにはいかないようです。

 春は憂いの季節であり、秋は物思いの季節。
 人にとって過ごしやすい季節にメランコリーに沈むのはなぜでしょうね。
 暑くも寒くもない季節は、心に余裕が生まれて、無駄に感傷的になるのかもしれません。 

 秋と言えば古い話で、1985年、私が高校一年生の秋に阪神が日本一になり、バカ騒ぎする関西の方々をテレビで見て、この狂乱は季節が生んだのではなかろうかと感慨深く感じたことを思い出します。
 機会をとらえて憂いを吹き飛ばそうとでもするかのように。 

 月と言えば言わずと知れた大江千里の百人一首の短歌、

月みれば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身一つの 秋にはあらねど

が思い浮かびます。
 「古今和歌集」に見られます。

 また、「海潮音」に見られるヴェルレーヌの詩に、「落葉」があります。

 秋の日のヴィオロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し。
 鐘のおとに胸ふたぎ 色かへて涙ぐむ 過ぎし日の おもひでや。 
 げにわれは うらぶれて ここかしこ さだめなく とび散らふ落葉かな。

 洋の東西を問わず、秋に人々は物思いに沈むようです。

 私の職場では10月1日付けの人事異動がよく行われます。

 今年度は4月の人事異動が小幅であったせいか、10月の人事では多くの人が去っていきます。
 サラリーマンに付き物の人事異動ですが、自身が動かなくても、どこか心が乱れます。
 仕事という浅はかな付き合いとはいえ、あまりにも多くの組織がある中で、私と同時期に同じ職場で働くというのは奇跡のようなご縁です。 
 そんなことも、秋の物思いを深いものにしているようです。