移民と子宝

社会・政治

 このところテレビをつけても新聞を開いても衆議院選挙の話ばかり。
 争点を見ると、消費税増税だとか年金だとか、金が無いということに起因することばかり。
 日本国中金が無いの大合唱で、わが家の家計もじりじりと苦しくなっています。

 これは要するに、人口問題に起因します。
 少子高齢化が急激に進行中なため、お金を納める能力を持った現役世代が減り、給付を受ける高齢者が激増していることによるものでしょう。
 国民の年齢構成比が激変し、しかし社会制度はそれに追いついていないからだと思われます。

 しかしそうは言っても、結婚や出産は極めて個人的な事柄で、帝国主義時代のように国家が産めよ殖やせよと旗を振ることはできません。

 若者にしたって、できれば長い期間気楽な独身生活を謳歌したいと思うのは当然で、まして親元に暮らして給料が全額小遣いになる者にとっては、まさしく結婚は墓場と感じるでしょう。
 結婚というもの、一組の男女がなるべく離婚せずに添い遂げるように制度設計がなされており、結婚するより離婚するほうが多大なエネルギーを要します。
 要するに互いの首に縄をかけ、夫婦が相互に束縛しあうという、いやらしい制度なのですね。
 
 私はそれを嫌って同居人が朝帰りしようが宿泊を伴う旅行に出かけようが、何も聞きません。
 同居人が誰とどこで過ごそうが、私の知ったことではありませんから。
 当然、同居人も私に対して同じように接します。
 一応、誰それとどこへ行く、とは言いますが、それが嘘か真かは分かりません。
 そのようにしないと、私は極めてわがままで自分勝手なので、結婚生活を維持することなど不可能です。

 そのような窮屈な結婚を求めて、いつの頃からか、婚活なる不毛な行動に血道をあげるいい年をした男女が巷にあふれかえるようになりました。
 しかも自分のことは棚に上げて、相手に高収入や若さを求める我儘ぶり。
 人口問題の解決はほとんど不可能であるかのように思えてきます。

 人口問題を劇的に改善する方法があります。
 あまり問題提起されませんが、大量の移民受け入れです。

 移民受け入れは劇薬だ、とよく言われます。
 しかし私は、移民受け入れは毒薬だと思っています。

 現在西欧で起きている移民受け入れによる社会の軋轢は、安易に安い労働力を求め、しかも移民を一個の人間として遇しようとしなかったことが原因です。

 受け入れるからには、ネイティブの日本人と同様の待遇を保証しなければなりません。
 そこに毒薬であるという意味があります。

 極めて同質性の高いわが国社会に、イスラム教やキリスト教をバックボーンとするコミュニティーが散在し、顔も違えば言葉も違う人々がわが国社会に溶け込むことをしなければ、軋轢というより対立を生むことは火を見るより明らかです。
 おそらく大都市にはスラムが形成され、治安は悪化するでしょう。

 わが国は違う国柄になってしまうこと請け合いです。

 国内での晩婚化・非婚化が解消され、ベビー・ブームのような事態が現出することはないでしょう。
 そして、移民受け入れには私は絶対反対です。

 すると、人口問題を解決する術は無いということになります。

 ではどうすれば良いか。
 一億総貧乏に耐える他ありますまい。
 年金の支給額を減らし、さらに増税するか、あるいは大幅に公共事業や社会福祉などの公共サービスを縮小するか、その程度しか私には思い浮かびません。

 今になって、子宝と言う言葉の意味を実感します。
 それは親や祖父母にとって宝であるだけでなく、社会や国家にとっても貴重な宝です。

 できれば一昔前のように世話焼きおばさんが暗躍し、お見合いで次々に結婚する若い男女が増えてくれれば良いと思います。
 恋愛の結末として結婚があると多くの若者が考えている間は、晩婚化・非婚化は解消しないでしょう。

 恋愛というのはエネルギーが要りますし、けっこう面倒くさいものですから。

 そんな不確実なものより、システマティックにお見合いで結婚するほうが、過剰な期待をせずに条件闘争から入るので、互いに納得し、長い目で見て楽しい結婚生活を送れるように思いますがねぇ。

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